クラシカル・サクソフォン奏者として国内外で活動を展開。東京藝術大学卒業、同大学院、パリ国立高等音楽院修了。ソロアルバム「SMOKE 日本の無伴奏サクソフォン作品集」が令和元年度文化庁芸術祭レコード部門優秀賞を受賞。2024年オーストリアのレーベルKairosより「細川俊夫サクソフォン作品集」をリリース。現在大阪音楽大学特任准教授、エリザベト音楽大学客員教授、東京藝術大学、洗足学園大学音楽大学各講師。
撮影:彦坂僚太
開演前の薄暗い会場は、床に置いてある照明で美しく照らされていた。固定座席とステージが取り払われたフルフラットの会場には、中央と両端2カ所、計3ヶ所が電飾で囲まれ、客席はそれを向き合って挟む様な配置となっている。サクソフォンと笙の特殊な配置はこのコンサートで演奏される武満徹《ディスタンス》の演奏を意識したものであったが、江川良子の感性が始終、隅々まで冴え渡った空間で、それ以外にも様々な「距離」を感じさせるコンサートであった。

撮影:彦坂僚太
サクソフォン奏者、江川本人がプロデュースした「SOLOSOLO?」というタイトルのこの公演は、大友良英と笙奏者の中村華子と共に、大友の新曲2曲を含む全8曲を演奏するというコンサート。大友は自作以外でも即興演奏をするようで、江川が演奏する現代音楽作品とどのような関連性を持って演奏されるのか以前より楽しみにしていた。
江川はクラシカル・サクソフォンを東京藝術大学で学んだが、彼女の個性がその活動に現れ始めたのは、同じく東京藝術大学の学生であった本田祐也が立ち上げた「チャンチキトルネエド」への参加からであろう。その後2006年より「清水靖晃&サキソフォネッツ」の固定メンバーとして活動を開始。また2013年からは「大友良英スペシャルビッグバンド」メンバーとしても活動している。一方ソロの活動ではクラシック、現代音楽の演奏が主体で、今までにピアノ、ハープ、アコーディオンとのデュオ、サクソフォン四重奏などといった編成で演奏し、新曲の「委嘱初演」も積極的に行なっている。

撮影:彦坂僚太
大友良英は即興、フリージャズ奏者、映画音楽作曲家など幅広い活動において、現代音楽からは大きな影響を受けてきたという。2012年の横浜みなとみらいホール「JUST COMPOSED」でのジョン・ケージの図形楽譜作品の演奏は強く印象に残っている。現代音楽アンサンブル「アンサンブル・ノマド」ではゲストとして演奏し、また現代音楽作曲家の藤倉大プロデュースする「ボンクリ」では藤倉から委嘱を受け毎年作品を発表している。
開演前のアナウンスで本公演はプログラムに記載されている曲の間に大友が即興を演奏していく、という説明がされる。「途中でどの曲を演奏しているかわからなくなると思いますが」という、お客さんに優しく素直に寄り添ったような影アナに、会場からホッとしたような笑い声が漏れる。確かに今夜のプログラムはクロード・ドビュッシー、ルチアーノ・ベリオ、武満徹、高橋悠治、満潔、大友という20世紀を代表する現代音楽作曲家の作品が半分を占め、聴衆の中にはこれらの音楽を初めて耳にする人もたくさんいたと思う。
コンサートはドビュッシー《シランクス》の演奏から始まった。クラシック音楽が近代音楽へ移行しようとしている1913年にフルート独奏のために書かれた、調性が曖昧で浮遊するような感覚を与えるこの作品。江川が「本日のプログラムの幕開けに相応しいと思い」選んだという。《シランクス》が弱音で消え入る様に終わると同時に大友の静かなノイズによる前奏曲のようなものが奏でられる。
その後、江川のソロであるルチアーノ・ベリオの《セクエンツァⅨb》が演奏される。クラシカル・サクソフォンにおける代表的なレパートリーであるこの作品は、技巧性が高く、また演奏に14分余りを要するため、演奏者にとって、また聴く方にとっても高い集中力が求められる。気迫を感じさせる江川の演奏に聴衆の集中力がぐっと高まっていくのを感じた。その後の大友のギターの即興演奏は、一つの音の倍音からメロディーを派生させていくような抒情的な演奏。特定の音列を循環させることによって作品が成り立っている《セクエンツァⅨb》へのオマージュの様だ。

撮影:彦坂僚太
続いて演奏された武満徹《ディスタンス》はもともとはオーボエと笙のために書かれた作品。作曲者からサクソフォン奏者と笙奏者の間には十分な「距離」を取るように指示されている。舞台客席側にサクソフォン奏者を、その直線上の舞台後方に笙奏者を配置するのが一般的で、笙はサクソフォン奏者より遥か遠くから聴こえることが多い。今回サクソフォン奏者と笙奏者の中間に席を取った筆者はその響きを横から聴くことになり、この作品の新しい響きを体感した。聴衆の場所の選択により奏者との位置関係が変化する今回の配置は、この作品によってもたらされる新たな音響空間を自由に捉えることのできる大変良い経験となった。さらに会場に放射状に広がる豊かな中村の笙の音色の上で、江川は低音から超高音、声を使い、サクソフォン1本の音響による「距離」を表現していった。

撮影:彦坂僚太
会場に仕掛けられた各奏者の物理的な「距離」と、それぞれの楽器における音響的「距離」への聴衆の意識が高まった時、江川がJ.S.バッハ《無伴奏チェロ組曲第2番よりサラバンド》をバリトン・サクソフォンで静かに演奏し始めた。同時に大友がギターでの即興演奏で音を重ね、その後高橋悠治《残り火》に移行していくのであるが、江川と大友の音色が初めて合わさった、当夜の白眉とも言えるこの演奏では、江川の芳醇なバリトン・サクソフォンの音色と大友のノイズとギターの低い柱時計の様な音が共鳴し合い、ホール全体を揺らし独特な雰囲気を作りだしていた。と、俄かに江川と大友の間の位置でダンサーが登場し、会場を驚かせた。首藤康之のサプライズ出演であった。
その後の大友の即興が終わり、一時飽和状態になった会場が少し落ち着いた頃、満潔のサクソフォンとエレクトロニクスのための作品《Another DoorⅡ》が演奏された。サクソフォンの細かい断片がハーモナイザーによって響きが拡張されながら、満の故郷である内モンゴルのペンタトニックの民謡の断片のようなものが印象的に繰り返される。その可愛らしい素材が現れる度になんだか嬉しくなるような作品だった。

撮影:彦坂僚太
最後の2曲は大友の新曲。《サックスとトランプのためのソリティア》は江川のソロで、トランプをめくりながら演奏していく。偶然に示されたトランプの記号により「最大限の即興性を活かしながら、書かれた音符に対して毎回異なる解釈をその場でしながら音楽にして行く」という作品。江川のマルチリンガルな際限ない可能性と豊かな即興性を作曲作品で引き出すにはどうすれば良いか、という視点で書いたのがこの曲だという。次々に演奏されるメロディーや音の断片を聴きながら、聴き手は様々な想像を巡らす。2曲目の新曲《ソプラノサックス、笙、ターンテーブルとプリペアードギターのためのモデュレーション》は3人による演奏で、笙とサクソフォンにより演奏されるA音から始まった一筋の音の線が、次第に違う音高や音色によって変化していき、さらに大友の電子音が加わり、互いに触発され拡張されていく。3人の一つに合わさった音の帯が会場を貫いたかの様だった。最後にアンコールとして本田祐也「夏のにほひ」を3人で演奏し、コンサートは幕を閉じた。
大友の即興演奏から発せられる抽象的な音が、具体的なイマジネーションに脳内で変換されていく様子が面白い。リアリティーを感じる音。そんな豊かな音色が会場を隅々まで揺らしたかと思うと、切り裂く様なハウリング音に似たノイズが、耳を塞いでしまう寸前のギリギリのところまで届けられる。即興でありながらそれぞれの発音体から聴衆までの計算された音の「距離感」と空間性を感じさせる演奏に思わず唸る。定点からホール中を満たした江川のサクソフォンの豊かな音色とスマートな音楽性、確かな技巧で演奏される音楽と合わさって新たな世界を展開していた。また、20世紀を代表する作曲家による作品と即興演奏を合わせるというのは、江川と大友の間に相当な信頼関係がないと、この様な相乗効果をもたらす結果にはならなかったのではないか、と思いを巡らす。江川と大友2人の音楽家が長年の協働により結実した「距離」の近さも、示されたコンサートであった。
INFORMATION
江川良子 Saxophone Concert "SOLOSOLO?" with 大友良英
日時:2024年5月21日
会場:めぐろパーシモンホール 小ホール
出演:江川良子(サクソフォーン)、大友良英(ギター、ターンテーブル)、中村華子(笙)、満潔(エレクトロニクス)
スペシャルゲスト:首藤康之(ダンス)
舞台監督: 河内崇
宣伝美術:宮村ヤスヲ
制作: 萬治文絵







