2001年東京生まれ。メディアアーティスト、ソフトウェアエンジニア。 言語、ブロックチェーン技術、AI技術、法律、プログラミング言語、オペレーティングシステム、といった様々な技術とふれあいつつ、それら技術のいままでに想定されていなかったような使い方を、ソフトウェア制作や展覧会での展示を通して模索している。 主な活動に、「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」会田家として参加(東京都現代美術館/東京、2015)、『I’m In The Computer Memory!』出展/第21回文化庁メディア芸術祭(新人賞受賞、2017)、『子音ふれんず』出展/MEDIA AMBITION TOKYO 2020(SHIBUYA QWS/東京)、『Ero法令検索』出展/MEDIA AMBITION TOKYO 2021(東京シティビュー/東京)、『Toward the Emancipation of All Smart Contracts, Accounts and Beyond』出展/Meta Fair #1(ソノアイダ/東京、2022)、 個展「yume tensei」/上野下スタジオ(2024) 2018年度未踏IT人材発掘・育成事業採択。孫正義育英財団アラムナイ。
最初に登場したN/K a.k.a.菊地成孔は、ラッパーとしての矜持を語る役割として、“普通のラップ”の構成をとった。普段はクラシック音楽の領域で楽器を演奏するプレイヤーをバックに“普通のラップ”を成し遂げることは、かなり難易度が高いと思われる。叙情的、知的遊戯的なもののほうが、いわゆる「クラシック音楽」との相性がいいように感じられるが、クラシック音楽の持つオーラのようなものを作品性として利用せず、あえてラップ的なものとクラシック的なものの矛盾を矛盾のままに構成するのも、ひとつの方法だと感じられた。菊地が「みんな立っていいよ」と呼びかけていたのは、ショーとして盛り上げる要素を、無理やりにでもクラシックの世界にねじ込むかのようであった 。

N/K a.k.a.菊地成孔

HIDENKA
しかし、意外なことに他のラッパーは、矛盾をなくして統合する方向に、ショーというよりは、アーティスティックな、個別の作品として表現しようとしていたように感じられた。HIDENKAは、アーティスティックな部分と“普通のラップ”の両方のバランスがとれていた。また、イメージの連続性や移り変わり、言葉遊び、「見立て」という方向性だったのは、ラップバトルに登場したDOTAMAとHUNGER、そして志人。この3人は個人的なことではなく、場所やモノ、非人間的なものにかなりの比重を置いており、これは一般的なラップの世界ではあまり行われないことだ。それぞれが目指す方向性に混乱は見受けられたものの、その混乱が心地よくもあった。

DOTAMA × HUNGER(GAGLE)

NENE(ゆるふわギャング)
NENEは、原曲の「Anger – from untitled 01」が断片的な構造であるというのも関係していると思うが、物語、それ以前に文法さえも作らない作風だった。意味や物語を見出すのは観客の側にあり、あえて文として成立させないところが特徴的だ。曲の後半で、感じたことを伝えたい。NENEは、誰にも頼らない生き方、社会、芸術、あるいは表現という言葉を口にした。「誰にも頼らない生き方」というのは、ラッパーとしての生き方を歌ったものだと思われるが、一方で、自己啓発的な、あるいは新自由主義的な文脈で使われる「よくある言い回し」という感じも受ける。「表現」によって自分自身を開放していくという意味での「自由な生き方」と、現在の過酷な状況を作ったシステムそのものには疑問を向けることはせずに、この過酷な社会の中で他人を蹴落としてでもサバイブする、という意味での「自由な生き方」。同じ言葉でも、その狭間で引き裂かれるような感覚を抱いた。引き裂かれる状況において表現すること自体の難しさ。何を言っても意味がないのではないかという感覚。「表現」とは、そういった暴力に常にさらされており、そのような暴力性に対する魂の叫びをNENEのラップから感じた。
ラップの面白いところは、一見相反するような概念をつなげることができることだ。複数の意味の流れが複雑に絡み合いながら存在している。しかしながら、時間は残酷で、観客がその意味から思考を吟味し、確定させ、発展させる猶予を与えずに、どんどん先へと進んでしまう。しかし、このような突き放される感覚こそが、ラップにやみつきになる要因でもある。

呂布カルマ
呂布カルマのラップは、ラジオドラマを思わせる会話劇的要素があり、一つの劇のようだった。そのなかにラッパー個人としてのアイデンティティがテーマとして扱われていた。あえてスマホをガン見しながら猫背になってぼそぼそと喋る演出など、「男性像」を内省的に表現するような演劇的・物語的な要素があった。最後には、「自分が特別であると信じて疑わない」「正しい……正しい……」と繰り返していたのは、「ポリティカル・コレクトネス」に対するアテツケだろうか? 反省しているのか開き直りなのか、反省しつつ開き直っているのか。自身について語っているのか、それとも、あるキャラクターになりきっているのか……。一人称なのか、三人称なのかもわからず、宙吊りのまま進んでいく。こういうところがラップの面白さであると同時にもやもやするところでもある。みんな自分が特別であると信じるよなあ、と素朴に思った。
プログラムの中盤にラップバトルが入る構成も良かった。呂布カルマとNENEの真面目で厳かな感じから一転、エンターテインメント性が前面に出ていた。パイプオルガンの針が飛んでくる、という言葉や、赤坂、政治家、ほかに地名ネタもあったように思う。特にはっとさせられたのは「いつかは死んで土に還る」といった歌詞が飛び出してきたときであった。お互いをディスるラップバトルではなく、協働、即興して一つの詩を作り上げていく感じだった。

DOTAMA × HUNGER(GAGLE)、梅本佑利
このラップバトルでは、言葉遊びやイメージの移り変わり、死生観、仏教や道教、あるいは和歌的なものを感じることも多かった。死生観は、常に暴力と向き合ってきたラップにあらかじめ備わっているものだとも言える。いつ殺されるかもわからないストリートの現実を表現している作品は多い。うっすらとではあるが、戦争についての言及も、ところどころ顔を出していた。
磯部涼によるパンフレットのまえがきには、暴力とラップの複雑な関係に触れられていた。暴力的な歌詞が多い一方で、言葉によって権力に立ち向かうという非暴力的側面もあること、力のない民衆が声を上げるための道具である一方で、ポップ音楽と接近したことで、たとえばパレスチナの人々を迫害する国家的プロパガンダに利用される側面もある。クラシック音楽とラップを近づけるというのは画期的である一方で、とても危ない試みであるともいえるのだ。

志人
志人は、風景や物体や思考の間を縦横無尽に浮遊する、擬音語を使ってリズムや流れを作り出す独自性に満ちたラッパーだ。ラッパーと書いたが、パンフの肩書きには「語部」そして「木こり」とあった。虹色の雲の話が何度も繰り返されていたのが印象的だった。言葉の濁流あるいは清流が、大きさや音色や流れを変化させながら、バックの音楽と同期して、時には同期が外れて、進んでいった。
ラップはマルチバースの側面がある。文や節がどこで区切れるかが曖昧で、いろいろな分岐が作り出す単語の可能性によって、ニュアンスの海の間を浮遊していくような性質がある。志人の作品の多くは、人間社会のばかばかしさを歌っている。同時に、そこから逃げてどう生きるのか、という「自己啓発」的テーマもある。
一方、自然も大きなテーマだ。核に代表される、文明による自然の破壊を痛烈に批判している。山で生活し、山から言葉を拾って作品を作っている[1] 。地球と非暴力的な方法で愛を結ぶ「エコセクシャル」という生き方をする人々もいるが[2]、もし、志人の作品の中を、快楽の問題が通っていった場合、一体どのような表現になるのだろうか。

原田慶太楼
公演後、改めてベートーヴェンの交響曲第7番・第2楽章を聴いてみた。何回もループするなど、走馬灯みたいなものを感じた。音が続きそうで続かないなど、ままならなさや挫折のようなものも感じられる。わたしは電子音楽を制作しているが、そういう「ままならなさ」を創作のスパイスの一つに使うこともあるので、共感を覚えた。
サントリーホールは、ラップにとってはかなり音の跳ね返りが多い場所で、確かに少し聞き取りづらかった。しかし、そのことがかえってなんとしても聞き取ってやるぞという観客の結束を生んでいたかもしれない。NENEは曲の特性によるところも大きいが、大声で断片的に単語を絞り出していく方法で、ホールの環境を利用することに成功していたし、呂布カルマも、ゆっくり話しかけるような形式をとっていた。聞き取れない、あるいは自分が精通していない言語のラップをがんばって聞こうとするうちに、断片的に単語を拾い、繋げることによって、自分なりに受け取り、解釈できるのもラップの醍醐味である。
[1] 石倉 史子、片山 達貴、米川実果、溝邊 尚紀 「山から山へ。− 志人(詩人、作家、作詞家) ―おとなにきく。#3」瓜生通信 https://uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp/detail/200 (2024-09-11閲覧)
[2] ベス スティーブンス、アニー スプリンクル「エコセックス マニフェスト」https://bpb-us-e1.wpmucdn.com/sites.ucsc.edu/dist/8/1076/files/2021/04/manifesto-japanese.pdf (2024-09-11閲覧)
[プログラム]
ヴェルディ/歌劇「運命の力」序曲
N/K a.k.a.菊地成孔 林光/映画『秋津温泉』より「ラストシーン・新子の死」
呂布カルマ サティ/3つのジムノペディ より 第1番「ゆっくりと悩める如く」、第3番「ゆっくり、厳かに」 (ドビュッシーによる管弦楽編)
NENE(ゆるふわギャング) 坂本龍一/Anger – from untitled 01
DOTAMA × HUNGER(GAGLE) 梅本佑利/委嘱作品「MCバトルのための、スーパー・サンプリング クラシック・ボム」(SUPER SAMPLING CLASSIC BOMB FOR MC BATTLE)
HIDENKA ホルスト/組曲『惑星』 作品32 より 第1曲「火星 戦争の神」
志人 ベートーヴェン/交響曲第7番 イ長調 作品92 より 第2楽章
INFORMATION
《交響ラップ》クラシックとラップが挑む未知の領域
日時:2024年7月17日
会場:サントリーホール
主催・制作:パシフィックフィルハーモニア東京
指揮:原田慶太楼
企画:爆クラ/ホウ71
プロデューサー/MC:湯山玲子







