1983年生まれ。批評家、ドラマトゥルク。演劇批評誌『紙背』編集長。WEBマガジンartscapeでショートレビューを連載。2019年からは演出家・俳優の橋本清とともにy/nとして舞台作品を発表。
photo: Susanne Diesner
ウサギかアヒルか。それが問題、なのだろうか。哲学者ウィトゲンシュタインが『哲学探究』のなかで取り上げたウサギ/アヒルのイメージは、ある事物に対して複数の、しかし互いに排反な見方が存在し得ることを示す例だ。そのイメージはウサギにもアヒルにも見えるが、同時にその両者として見ることはできない。
筒井潤『釈迦ヶ池再訪』(作・演出:筒井潤)もまた一見したところ、同じテーマを扱っているように思える。1880年に起きた「釈迦ヶ池遊猟事件」に着想を得たこの作品は、この事件に関する全く異なった二つの記述——日本語で書かれた絵本『カモとはらきりじいさん』とドイツ語で書かれた『Prinz Heinrichs Weltumsegelung(ハインリヒ皇子の世界周航記)』におけるそれ——をめぐる対話として構成されたものだ。たとえば(全体からすれば些細な細部ではあるのだが)、ハインリヒが狩っていたのは絵本では鴨、周航記ではウサギだったということになっている。ドイツ語では鴨もアヒルもどちらもEnteだということを考えると、これはやはりウサギ/アヒル問題を扱った作品なのだと言いたくもなる。
だが、このような説明は作品の重要な部分を捉え損ねていると言わざるを得ない。「周航記は周航記」「絵本は絵本」というセリフが端的に示すように、『釈迦ヶ池再訪』の上演は、両者の記述が同一の事件に関するものであるというほとんどあからさまな「結論」に達することを可能なかぎり回避するようにして進行していくからだ。

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「釈迦ヶ池遊猟事件」の概略は以下の通り。1880年、日本滞在中のプロイセン皇太子ハインリヒは大阪・釈迦ヶ池で鴨猟を行なった。しかしそこが禁猟区であったことから地元住民とトラブルになり、警察も出動する騒ぎに。翌日にはドイツ領事から大阪府に抗議が寄せられ、深刻な外交問題へと発展することを恐れた政府は日本側の処罰と謝罪を決定する。
『釈迦ヶ池再訪』は二人の出演者——ドイツ語を解さない大阪出身の劇作家・演出家筒井潤と日本語を解さないオデッサ出身ドイツ在住の俳優オレック・ジューコフがそれぞれ絵本と周航記を読み、相互にその内容を伝えながらあれこれコメントしていくというかたちで進んでいく。「釈迦ヶ池遊猟事件」においては言葉が通じないことが事態の悪化を招いたが、この上演においては日本語/ドイツ語の字幕が付くため、舞台上の二人はお互いが言っていることを理解できるし、観客も一方の言語が理解できれば内容を把握するのに支障はない(ということになっている)。字幕はある意味内容が複数の方法で表現され得ることを上演を通して視覚的聴覚的に示し続ける装置でもあるだろう。
しばらく上演が進むと、オレックは二冊の本に書かれているのは同じ出来事なのではという推測を口にしようとするのだが、筒井はその発言を遮ってしまう。それを言ってしまうとこの対話が「まじめか」で終わってしまうというのだ。「大阪のお笑い芸人が日本で広めた言い回し」である「まじめか」は「場の終焉の宣言」なのだという筒井に対し、オレックは釈然としないながらも「まじめか」を避け対話を続けることに同意し、上演は続くことになる。

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ほとんど茶番とも言える展開だが、ここで優先されているのが対話の継続だという点は興味深い。なるほど、結論を出すことよりも対話の継続にこそ、あるいは結論に至る対話の過程にこそ意味が見出される場合というのはたしかにあるだろう。だからこそ、対話の土俵が決してフェアなものではない点にも注意を向ける必要がある。「まじめか」を避けるというルールは筒井によって一方的に持ち込まれたものでしかない。さらに言ってしまえば、そもそも上演台本自体が筒井によって書かれたものであり、オレックはそこに書かれた言葉を発しているに過ぎない。一つの出来事に対する二つの証言をめぐるこの対話の背後には、圧倒的な権力勾配が存在しているのだ。
だが、さらに外側に目を向けてみれば事態は逆転する。この作品はドイツの劇場FFT DüsseldorfにおいてNIPPON PERFORMANCE NIGHTSの一環として上演されたものだからだ。筒井の作品は観客の多くを占めるドイツ語話者に、ドイツにおける舞台芸術の基準をもってジャッジされることになるだろう。この捩れを「釈迦ヶ池遊猟事件」のそれと重ねて見ることもできるはずだ。事件の結末には当時の二国の間の不均衡な関係が影響を与えていたのだった。

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念のために付け加えておくならば、これらはドイツ語を解さない日本語話者である私の視点からの記述でしかない。極端なことを言えば、ドイツ語話者には全く違う作品として受け取られている可能性も否定できない。……「まじめか」という筒井の声が聞こえてくるようだ。巧みな構成と同じかそれ以上に、飄々と胡散臭い筒井とまじめにチャーミングなオレックの立ち居ふるまいがこの作品の面白さを支えていたことを付言してこのレビューを終えたい。
INFORMATION
筒井潤 『釈迦ケ池再訪 / The Buddha Pond – Revisited』
作・演出:筒井 潤
出演:オレック・ジューコフ、筒井 潤
日時:2024年11月21日, 11月23日
会場:FFT Düsseldorf (Konrad-Adenauer-Platz 1, 40210 Düsseldorf, Germany)







