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「Ecologies of Closeness 痛みが他者でなくなるとき」 山口情報芸術センター[YCAM] 2025.7.5 – 11.2
EXHIBITION

マヤ・エリン・マスダ
「Ecologies of Closeness 痛みが他者でなくなるとき」
山口情報芸術センター[YCAM]
2025.7.5 – 11.2

Written by 小田原のどか|2025.11.27

マヤ・エリン・マスダ《Pour Your Body Out》(2023-2025、YCAM)  撮影:板倉勇人(YCAM) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

 

「有害なクィアの絆:マヤ・エリン・マスダ作品における「毒性」と「他者」」

 

 毒性と共に考え、感じることは情動性と関係性といった、まさに現在理論化されているクィアな絆そのものを再考することを促す。

 Thinking, and feeling, with toxicity invites a recounting of the affectivity and relationally−indeed the bonds−of queerness as it is presently theorized.

 Mel Y. Chen, “Toxic Animacies, Inanimate Affections”(2011)(日本語訳はマヤ・エリン・マスダによる)

 

会場にめぐらされた管と人工乳、人為的な照明が輝かせる人工皮膚、黄色い水に活けられた花の束。自然光がそそぐ大窓とそこから見える中庭の木々。窓は開けられ、外気が循環し、自然光がそそいでいる。外部とのつながりが、室内に仮構された擬似的な生態系を際立たせる。それらの諸要素が会場中央を斜めに横断する木製の骨組みに重なり合う《Pour Your Body Out》と、ふたつの映像作品。これらがマヤ・エリン・マスダの個展 scopic measure #17 「Ecologies of Closeness 痛みが他者でなくなるとき」を構成している。

機械仕掛けで行き渡たる粉ミルクを溶いた液体は、会場内の複数の要素を架橋する。その様子は、国家が生命や出生を管理する「生政治」とテクノロジーの関係を無言のまま批判的に焦点化し、リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)に関する主題を前景化させる。放射線と土地を捉えた無数のショットが連なる映像作品《証言者たち/Plastic Ocean》は、福島第一原子力発電所事故を想起させつつ、核災害後の社会における支配、管理、逸脱の有り様を映し出す。

 

 マヤ・エリン・マスダ《証言者たち-Plastic Ocean》 写真提供:アーティスト 

 

核災害とクィア・エコロジーは、マスダの作品を語る際に欠かすことのできない視点である。本展の大部分を占める《Pour Your Body Out》は、2023年にマスダがキュレーションを担当し、京都芸術センターで開催された展覧会「Ground Zero」において発表された作品だ。同展でマスダは、核爆弾やロケットの爆発の現場を表す「グラウンド・ゼロ」を、人だけでなく、森林、土地、動物なども含めた地球という惑星に人間がもたらす「ジオ・トラウマ」として捉え直した。

ここで参照されたのが、人間中心の社会が自然、生物学、セクシュアリティに与えてきた影響を、異性愛やシスジェンダーを基準とせず、クィア理論の観点から理解するクィア・エコロジーの理論だ。この理論を日本における核災害の問題に敷衍したのが、戦後日本研究、ポピュラー・カルチャー、核・記憶問題を専門とする大槻とも恵である。大槻は、深刻な原発事故を引き起こした2011年の東日本大震災後の日本社会における未来主義の問題について、クィア・スタディーズの学者リー・エデルマンが批判する「再生産的未来主義」(Reproductive Futurism)を理論的枠組みにしつつ考察した。

過去と現在は未来に対してつねに後進的な状態にあるという進歩史的な時間の流れを前提とし、未来は新しい科学技術の発展によって「より安全な場所」であるというユートピアを自明とする未来主義の観念形態は、「子どもたちのために、より良い未来、より安全な未来」というポリティクスに基づき、理想の未来と子どもの姿を連結させることで、異性愛規範を強化し、不動のものとする。

かような異性愛規範(生殖・再生産)を前提に構築される「再生産的未来主義」においては、「未来」という名のもとに同一の社会構造が再生産され続ける。その繰り返しを「進歩」と信じることで、それに対抗する思想や、規範の外に存在するクィアな未来の可能性は剥奪される。未来主義とは異なるクィアな未来の想像を促す新しい物語の可能性を問い、繰り返される過去と現在から「未来」を解放する必要を、大槻は説いた。

 

 マヤ・エリン・マスダ《Pour Your Body Out》(2023、京都芸術センター) 写真提供:アーティスト

 

「Ground Zero」展では、《Pour Your Body Out》が金属製の骨組みを支持体として発表されたことで、非人間的な制度のありように目を向けさせられたが、「Ecologies of Closeness 痛みが他者でなくなるとき」展では、躯体の素材が金属から木材に変更された。新型コロナウイルスの世界的流行によりウッドショックと呼ばれる製材価格の高騰が起こり、一時期、国内原産の木材を手に入れることはきわめて難しくなった。本展の素材の変更は、高度に管理され、市場価値と分かちがたい生命である木材を屋台骨とすることで、管理・統制を及ぼす生権力は人間だけの問題ではないことを示唆しているように思える。

「Ground Zero」を経て、「Ecologies of Closeness 痛みが他者でなくなるとき」においてマスダが実践したのは、毒性の再定義だと言えるだろう。美術制度と毒性をめぐっては、学者で博物館保存科学のヘレーネ・テロHelene Telloによる『The Toxic Museum Berlin and Beyond』(Routledge, 2024)によって、19 世紀末から 20 世紀初頭のドイツのミュージアムコレクションにおける農薬の使用が歴史化されている。

Telloはとくにベルリンの民族学博物館を軸として、博物館収蔵品における害虫駆除物質などの毒性の研究を、国民国家の形成、植民地主義、化学産業の発展、第一次世界大戦、その結果生まれた衛生運動の文脈の中で再構築した。多くの収蔵品が高度に汚染されていることを明らかにするとともに、もっとも危険で困難な状況は、汚染された収蔵品が原産国に返還される際に生じると結論づけた。

欧州の主要なミュージアムを取り巻く積年の課題である略奪文化財の原産国への返還に際して、この汚染と毒性の問題は障害となり続けている。そしてまた、ここでは「物質的毒性」と「象徴的毒性」という二重の「毒性」が浮かび上がる。これはつまり、博物館の内部には、過去の保存処理によって化学物質が残留しているという物質的な毒性が存在し、脱植民地化や略奪文化財の返還の取り組みを困難にしている一方で、公共空間や博物館に残された記念碑や彫像には、植民地主義や独裁、戦争を象徴する政治的・象徴的な毒性が宿り続けているという二重性だ。同書はこれらの考察を経て、博物館という制度は決して中立ではなく、毒性を内包する政治的空間であることを示した。

毒性を内包する政治的空間としてのミュージアムを逆手に取り、その問題系を視覚芸術に展示させる試みが、「Ecologies of Closeness 痛みが他者でなくなるとき」展であると筆者は考える。特筆すべきは、毒性について考え、感じることを、現在理論化されているクィアネスの情動性と関係性、そしてその絆をあらためて語る契機として、本展を位置づけているように見えることだ。この志向は、本展で展示されたマスダの映像作品《皮膚の中の惑星/All Small Fragments of You》にクィア理論、動物研究、批判的人種理論などを専門とするメル・Y・チェンMel Y. Chenによる研究論文「有毒な動物性、無生物的な愛情」が引用されたことからも明らかである。

同稿は、人間以外の素材をクィア化し、人種化することが、アニマシーanimacy(生命力)につながることを主題とする。「アニマシー(animacy)」という言語・認識・感覚上の区別(生命的/非生命的)が、実はいかに流動的で政治的・感情的なものかが問い直される。とくに「毒性(毒=化学物質・有害物質)」を媒介として、生命と非生命のあいだ、物と人間、感情と物質との結びつきが再構成される。アニマシーとは、擬人化の問題をはるかに超えて、抽象概念、無生物、そしてそれらの中間にあるものが、人間の身体がなくともクィア化され得るという認識に基づいている。アニマシーを理論化することは、生と死をめぐる既存の生政治的、そして近年のクィア理論的議論に対する代替案、あるいは補完を提供するというのがメル・Y・チェンの立場だ。

 

 マヤ・エリン・マスダ《皮膚の中の惑星-All Small Fragments of You》 写真提供:アーティスト

 

ここで理論化された「有害なクィアの絆」が、《皮膚の中の惑星/All Small Fragments of You》の通奏低音になっている。本作は、マヤ・エリン・マスダの声による語りと、親密な関係性にある他者との共同生活の様子、ミュージアムの彫刻、複数のテキストから構成される。《証言者たち/Plastic Ocean》と《皮膚の中の惑星/All Small Fragments of You》は対照的な映像作品だ。前者は、「Ground Zero」展との連続性を思わせ、人間の生活とは切り離された核災害後の風景の断片を連ねた印象を受けるいっぽうで、後者は、親密さや汗の湿り、こもれびや風のよそぎ、においなど、生命や物質の自発的な存在を強く感じさせる。

作者自身の声がここに重なり、見る者に語りかける。「性別」から逃れる薬、生理を止める薬、腸調剤、この3つの薬を指し示すこと、受け入れること、この薬によって女性でも男性でもない身体に変化を遂げ「自由」を手に入れようとする「彼女」を見つめることから、本作は始まり、そして終わる。「あらゆる分子状の他者を吸収して私たちが形づくられる」とマスダは告げる。ここでの「私たち」の含意は、身体や政治だけでない。土地、抽象概念、無生物、そしてそれらの中間にあるもの──。謝辞に挙げられた「優しさと苦しみの中で生きるすべてのクィアたち クィア化され、再取得されたあらゆるものたち」へのまなざしが、本展を支えている。それゆえに本展は、確かな抵抗の証しなのである。

 

 

参考文献:

 大槻とも恵「核災害後の「未来」の表象と子ども救世主:福島に現れた《サン・チャイルド》像を再考する」『彫刻2』書肆九十九、2022年

 Helene Tello, The Toxic Museum Berlin and Beyond, Routledge, 2024.

 Mel Y. Chen, “Toxic Animacies, Inanimate Affections”(2011)

 Lee Edelman, No Future: Queer Theory and the Death Drive, Duke University Press, 2004.

 

INFORMATION

マヤ・エリン・マスダ Ecologies of Closeness 痛みが他者でなくなるとき

scopic measure #17
マヤ・エリン・マスダ
Ecologies of Closeness 痛みが他者でなくなるとき
会期:2025年7月5日~11月2日
会場:山口情報芸術センター[YCAM]スタジオB

WRITER PROFILE

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小田原のどか Nodoka Odawara

彫刻家、評論家、研究者。筑波大学大学院博士課程修了、芸術学博士。主な展覧会に「近代を彫刻/超克するー津奈木・水俣編」(個展、つなぎ美術館、熊本、2023年)、あいちトリエンナーレ2019など。主な単著に『近代を彫刻/超克する』(講談社、2021年)、『モニュメント論:思想的課題としての彫刻』(青土社、2023年)など。

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