パリ在住。編集者を経て、現在フリー・ジャーナリスト。映画をメインに、音楽、カルチャー全般で筆を振るう。Web映画コム、白水社の雑誌「ふらんす」で連載を手がける。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。
© 2023, Road Movies, All rights reserved.
ヴィム・ヴェンダース監督へのインタビュー
役所広司主演の『PERFECT DAYS』で、アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされたヴィム・ヴェンダース監督の新作『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』が公開になる。戦後ドイツに登場した、現代美術界の巨人と言われたアンゼルム・キーファーの3Dドキュメンタリーだ。
キーファーのドキュメンタリーは、テレビ用の短編などはこれまでにも存在するが、劇場用長編はこれが初めて。彼と旧知の仲であるヴェンダースが長年アイディアを温めてきたなかで、自身がこれまでにも手掛けた3Dという形で実現した。絵画、彫刻、建築のような巨大なオブジェなど、モニュメンタルな作品を手掛けるキーファーに相応しく、観る者はその立体的な空間に埋没することができる。たんなるギミックではない、対象に見合ったスケールと奥深さを持った、傑作の名に恥じない作品となった。記念碑的な映画化に成功した彼に、その成り立ちを訊いた。
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「わたしがキーファーの作品を初めて観たのは80年代でした。当時いくつかの展覧会を観たのを覚えています。その後1991年に初めて会う機会がありました。わたしはベルリンにいて、『夢の涯てまでも』(1991)を撮影し終わった頃でした。アンゼルムは、アメリカで大きな成功を収めた後、ドイツに帰国して初めての個展を準備していた。たまたま彼が、うちの近所の行きつけのレストランに居て、お互い顔は知っていたので、話が始まった。それから意気投合して、毎日、彼の個展の初日まで会うようになりました。何日かした後、彼がわたしに、『じつは僕は映画監督になりたかったんだ』と言いました。僕が『知らなかったよ』と言うと彼は、『君は画家になりたかったんだよね? そんな僕らが一緒に映画を作ったらどうだろう?』と言った。僕は『それは素晴らしいアイディアだ』と言って、話が弾みました。だが、個展が開催されると、ドイツ国内で辛辣に叩かれた。ドイツ人は彼を嫌っていたのです。アンゼルムはアメリカで成功を収めた後で、展覧会にも自信があった。自国の人が両手を挙げて迎えてくれると期待していたのに、結果はまったく逆だった。それで彼はとても傷ついてしまった。しばらくして彼から、『僕はドイツを離れることにした』と、連絡がありました。私的な理由もあったと思いますが、彼は自国の人々の偏狭な態度に耐えられなかったのだと思います」
やがてアンゼルムは南仏のヴァルジャックに広大なアトリエを構え、一方ヴェンダースはアメリカに移住したため、ふたりのプロジェクトはお預けになった。だが、その間も連絡をとり続けていたなか、2019年に転機が訪れる。
「彼がヴァルジャックに招待してくれたのです。いまだ建設中の部分もありましたが、とにかくその規模に驚きました。こんな場所は見たことがなかった。それでわたしは『アンゼルム、映画を作るなら今しかない』と。彼は『ありがとう、僕もそう思った』と答えてくれたので、それからすぐにわたしは準備に取り掛かりました」
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もっとも、そのプレッシャーは並大抵ではなかったようだ。
「相手が友人ならプレッシャーは大きくなる。落胆させたくないと思いますから。ピナ・バウシュのドキュメンタリーを作るときもそうでした(3D作品『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』2011)。ピナの場合は準備中に彼女が亡くなり、わたしは一旦断念したほどです。ともかく、わたしはキーファーに、『君はどんなものを望んでいる? シノプシスが必要? 編集を見学したい?』などと尋ねました。すると彼は『否、なにも知りたくない。僕が望んでいるのはただひとつ。僕を驚かして欲しいということだけだ』と。それでほっとしました。大きな自由を与えられましたから」
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こうしてマエストロから背中を押されたもうひとりの巨匠、ヴェンダースは、大胆不敵な策に出る。年代順に追うキーファーの純ドキュメンタリーではなく、フィクションを混ぜ(子供時代をヴェンダースの孫甥が、青年期をキーファーの息子が演じている)、さらにキーファーの精神的な旅を暗示するかのような詩的でリリカルな映像を挿入している。
たとえば冒頭。ヴァルジャックの丘に立つ、古代女性たちの神話からインスパイアされた、白いドレスの作品群が映し出される。美しいオペラの旋律が流れるなか、やがてゆっくりと登る朝日にそれらが照らし出されるさまは、えも言われぬほど神聖な時間だ。カメラが滑るようにゆっくりと巡回し、今度は室内の展示が映される中、女たちの囁き声がかすかに聞こえてくる。「私たちは名もなく、忘れられし者。でも私たちは忘れない」。
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ヴェンダースはフィクションとドキュメンタリーについての、彼なりの境界をこう語る。
「わたしは、フィクションを撮るときはドキュメンタリーのように、ドキュメンタリーを撮るときはフィクションの要素を入れ込むようにしています。本作は最初、どのように撮っていいかまったくわからなかった。でも撮っているうちにだんだんと見えてきた。画家と同じです。多くの画家は、スケッチをして数ヶ月後、やっと描くものが見えてくるという。ただ時間を掛ける。ドキュメンタリーのときは、とくにそれが大切だと思う。そうしてわたしが決めたことは、アンゼルムの人と成りを彼が語ることで捉えるのではなく、彼の作品や仕事をしているその姿を通して語らせようということでした」
3Dを選んだのも、それが彼の作品の迫力を伝えるのに相応しいと感じたからだった。
「3Dの技術は、『Pina〜』を作ったときよりも格段に進歩した。今回は当時できなかった6Kカメラを使用し、風景描写ではその装備をドローンに載せて撮ることもできた。3Dは没入感が2Dとはまったく異なる。巨大なものが多いアンゼルムの作品は、観る者にトータルなパーセプションをもたらす。彼の作品を目の前にするのとカタログで観るのとでは、まったく違う体験です。わたしは観客に、実際に彼の作品や彼が作品を制作しているところを間近で観ているような感覚を与えたいと思った」
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本作ではまた、アンゼルムの孤高の闘いも浮き彫りにされる。ナチスの敬礼を自身で模した写真シリーズ「占領」(1969)や、「あしか作品」(1975)がドイツ国内で大きな論争となり、以来彼は呪われた過去を掘り返す「墓掘り」アーティストと見做される。1980年にヴェネチア・ビエンナーレに西ドイツの代表として選ばれたときは、「なぜナチスをヴェネチアに送ったのか」と批判する声も国内で出たという。こうした騒動を、アンゼルムと同い年であるヴェンダースは目の当たりにしてきた。
「アンゼルムと僕はともに1945年、彼は終戦前に、僕はヨーロッパの終戦後に生まれた。覚えているのは、当時学校の教師はみんな元ナチスだったこと。でも戦後早くに、みんながナチスのことを語らなくなるのに引き換え、アンゼルムは語り続けた。彼は闘士です。過去を振り返り歴史を明るみに出すことでふつうは称賛されるべきことが、ドイツではその反対になった。でも彼は詩人であり哲学者であり、画家であり彫刻家であり科学者でもある。その作品はドイツの歴史のみならず、神話、宗教、天文学、物理学など多岐にわたってインスパイアされている。彼のような芸術家はふたりといないでしょう」
映画のなかでキーファーはこう呟く。「人は重さを避け、軽さを求める。深淵をのぞくことを嫌がり、楽なのを好む」「わたしはみんなの顔の前に鏡を突きつけたのです」。
自然のなかを散策し、静けさの中で瞑想し、ときに助手を伴いながら黙々と壮大な作品を作り続ける。その毅然とした姿を、ヴェンダースの眼差しはどこまでも追いかけ続ける。
INFORMATION
『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』
監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:アンゼルム・キーファー、ダニエル・キーファー、アントン・ヴェンダース
WRITER PROFILE
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