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EXHIBITION

メディウムとディメンション:Liminal
柿の木荘
2022.9.3 – 9.27

Written by 青木淳|2023.1.24

「メディウムとディメンション:Liminal」柿の木荘(2022年)展示風景 (中央手前)古橋まどか《辻、朽ちる、生す》2022 (右)磯谷博史《補助線》2018-2020 (左)鈴木のぞみ《Other Days, Other Eyes:柿の木荘102号室東の窓》2022 (中央奥)山根一晃《リフォーム》2022 (右奥〈柱〉)長田奈緒《room number sign(#104 kakinokisou, Tokyo)》2022 (右奥〈シンク上〉):高田安規子・政子《Back and forth》2022 撮影:赤石隆明

 

普請中の森

 

中尾拓哉のキュレーションによる「メディウムとディメンション:Liminal」展が、2022年9月3日から27日まで、神楽坂の「柿の木荘」で開催された。出品作家は、磯谷博史、長田奈緒、鎌田友介、佐々木耕太、鈴木のぞみ、髙田安規子・政子、玉山拓郎、津田道子、平川紀道、平田尚也、古橋まどか、山根一晃の12人・組。

 

「メディウムとディメンション:Liminal」柿の木荘(2022年)展示風景 髙田安規子・政子(左)《The lapse of time》2022 (中央)《Inside out》2022 (右)《箒》2022 (中央〈柱〉)長田奈緒《affixed postage stamp(21Kč)》2022 撮影:赤石隆明

 

柿の木荘は、1966年竣工の、当時の標準的な木造2階建アパート、いわゆるモクチンと呼ばれる建物で、2016年からは主にアーティスト・イン・レジデンスの滞在施設として使われてきた。それが今回、新たな用途のために改修されることになり、12室あった部屋の界壁がかなりの程度撤去され、壁や天井は剥がされ、まとまった大きな空間がつくり出されようとしていた。展覧会は、そんな普請の最中、壁は下地のプラスターボードが貼られただけ、土間もモルタルのままの状態の空間で行われた。

 

ガイドブック『Liminal』 書籍設計:中尾拓哉 デザイン:松田洋和 撮影:赤石隆明

 

配布されたガイドブックには、改修前の平面図とその時点の柿の木荘の平面図が併載され、展示写真も載せられている。ただしその写真は、12人・組の出品作家が、改修が始まる前に、12室それぞれに展示を試みたときの光景である。写真はそれぞれの作家が、まるでこのアパートの住人であったかのように、別々の部屋で別々の展示を試みたことを伝えている。しかし、目の前に実際に広がるのは、部屋と部屋の境が取り払われたことで、作家が建物全体に散り散りになった光景である。鑑賞者の多くは、ガイドブックを覗き込み、そこに横たわるギャップを確かめながら、会場をまわっていた。

その意味で、この展覧会は今そこに居る場所において展示を観ているという、空間的にも時間的にも限定された時空間では完結しない体験だった。空間は変遷の間にあり、時間もまた少なくとも改修前と改修中の2つの時間の間を往復する。改修前と間取り改修後の間にある「普請中」というどこにも属さない時空間、それを対象としているという点がこの展覧会の最大の特徴である。

 

「メディウムとディメンション:Liminal」柿の木荘(2022年)展示風景 (左)鈴木のぞみ《Other Days, Other Eyes:柿の木荘101号室東の窓》2022 (右)古橋まどか《辻、朽ちる、生す》2022 撮影:赤石隆明

 

実際、普請中の空間には、落ち着かないじつに中途半端な雰囲気がある。昭和の香りにノスタルジックに浸れるところもないわけではない。しかし、仕上げ以前の「建材」が至るところに現れることで、その空間の質はキャンセルされてしまう。寄る辺なき、頼りなき空間に作品が展示されるとき、作品の方も、それが自律的に空間を発生させるのでも、その環境に依存するのでもない、あるいはその逆に、自律しつつも周辺からも導き出されているような、なんとも両義的なありかたを見せることになる。ホワイトキューブでの展示と特定の空間から誘導されるサイト・スペシフィックな展示に二分される展示のいずれでもない、空間と作品の第三の関係が試されたと言ってもいいだろう。

環境が固定的ではなく流動的であるなら、作品も揺れ動き、置換・変換・変異せざるをえない。というより、そもそも環境は動きのなかにしかないのである。たとえば悠久の姿を見せているように見える森林でさえ、植生が自然に変遷していった挙句に到達した平衡状態、つまり動いていることによって止まっている状況を維持している極相であるわけで、ましてや人工的につくられた都市は、再整備・再開発され、規模も組織も変わり続けていくし、建築は、塗り直され、傷んだ部材は新な部材に置き換えられ、時代の要請によって用途は変更され、増築・減築されていく。作品が向きあっているのは、こうした本来的に動きのなかにある環境なのであって、そのことに意識を向けるなら、環境と作品の関係は固定したものにはなりえず、環境が作品に働きかけ、また作品が環境に働きかける、環境と作品とが相互に干渉しあう生態系に近づいていく。空間と作品の第三の関係とは、そのようなものである。

では、そんな構図のなかで、どのような応答が会場に具体的に響いていたのか。それがこの展覧会の肝である。ここではその一例として、2階奥の大きな空間での展示で起きていること、その一部に触れておこう。

 

「メディウムとディメンション:Liminal」柿の木荘(2022年)展示風景 (左奥)鈴木のぞみ《Other Days, Other Eyes:柿の木荘2階東の窓(夜)》2022 (左)平田尚也《Old Time Machine 434》2022 (中央奥)山根一晃《リフォーム》2013 玉山拓郎(中央〈梁〉)《Spinning Mop(Silver Hair)》2022 (中央手前)《M.B.》2022 (右)平川紀道《S³[hyperspherical coordinates]》《S³[hopf coordinates]》2019 撮影:赤石隆明

 

2階奥の空間は、改修前は、廊下を挟んで東西それぞれに四畳半が2室ずつあるつくりだった。それが、部屋と部屋の界壁と廊下との壁が撤去され、天井が剥がされ、大きな1室に変貌する中途にあった。その環境としての変化はもちろん、小さな部屋単位の空間ではなくなったということが第一にあげられるだろうが、もうひとつ、天井が剥がされ、梁と小屋組が露出したことで、視線より上空にある梁格子が空間全体を規定するようになったことがある。

平田尚也と玉山拓郎はその変化を敏感に感じ取ったようだった。

 

「メディウムとディメンション:Liminal」柿の木荘(2022年)展示風景 (左)平田尚也《Old Time Machine 434》2022 (右)山根一晃《リフォーム》2013 撮影:赤石隆明

「メディウムとディメンション:Liminal」柿の木荘(2022年)展示風景 平田尚也「柿の木荘 旧203号室からの収集物」 撮影:赤石隆明

 

平田尚也は、改修前にあてがわれた四畳半で、その真ん中に、柿の木荘内で集めた小さな物を畳の中央に積んでいた。そしてこの普請の最中、それら小物たちをデジタルデータに写し取り、そうして得たイメージを仮想空間内に組み立て直した映像を、構造補強のために取り付けられた鉄筋ブレスに取り付けられた大きなモニターの画面に流す一方、データ取りされたそれら小物たちを梁の上に置いた。ライティング・ダクトを止める下地金物にクリップが3つ噛んでいるなど、梁格子の上での小物たちの振る舞いを見るにつけ、梁格子を境にして、その上下で、虚実2つの世界が生育していることが見てとれた。

 

「メディウムとディメンション:Liminal」柿の木荘(2022年)展示風景 玉山拓郎《Spinning Mop(Silver Hair)》2022 撮影:赤石隆明

 

玉山拓郎は、新しくつくられつつある空間の焦点として、もともとは廊下だった上の梁格子あたりに鉄パイプのリングとモップによる構成体をつくり出していた。モップの房糸が重力で垂れ下がり、柱と同じくらいの幅となり、その房が、柱と並んで鉛直線をつくり出している。そういう状態を成立させるためにリングとモップの柄が協力しあって、梁格子と小屋組に絡みあっている。これは改修前の玉山の展示にはなかったものだ。

 

ガイドブック『Liminal』 書籍設計:中尾拓哉 デザイン:松田洋和 撮影:赤石隆明

 

改修前に玉山が行ったのは、四畳半の部屋の中央付近の中空に、鏡の球体を吊るということだった。空間の中央だから、それを取り囲む直方体空間の姿を歪ませながらも、天地前後なく、映し出していたはずだ。球体には、周囲の実空間が、それを覗く人も含めて、虚空間として取り込まれる。その球体が、ゆっくりと回転している。回転に気づけば、鏡像の虚空間は消え、回転する球体という実空間が現れる。ここでも平田同様、実空間と虚空間の並列が主題になっている。部屋の立場からすれば、その空間が中央の球体を焦点として吸収されている。球体の立場からすれば、球体上の空間が周辺に投影され実体化されている。虚実が等価に交替していた。

普請中にも、玉山はその球体の位置を変えなかった。変わったのは周りの環境の方だけである。すでに球体は空間の中心にはない。ないから、作品の構図がずれる。鏡の球体という、実体としてのあり方が前景化する。それが、平田の映像のなかの月と呼応する。平川紀道の2台の正方形のモニターに蠢く白と黒の球形状の白いワイヤーフレームと呼応する。作品が、新たなコンテクストの網目をつくり出している。

 

「メディウムとディメンション:Liminal」柿の木荘(2022年)展示風景 山根一晃《リフォーム》2013 撮影:赤石隆明

 

空間の焦点は、もはや鏡の球体にはない。玉山が梁格子と小屋組につくり出した構成体にある。それを中心として、玉山の球体と対角線方向の反対側にあるのが、山根一晃の、一台の自転車をパーツに分解し再構成した立体である。それは求心的な玉山の球体とは逆に、拡散型のオブジェとしてある。両極にあるそれらの対応関係を強調するように、自転車のホイールと見間違うような鉄パイプのリングが、梁格子と小屋組に絡め取られている。

 

「メディウムとディメンション:Liminal」柿の木荘(2022年)展示風景 (左奥)山根一晃《リフォーム》2013 玉山拓郎(中央〈梁〉)《Spinning Mop(Silver Hair)》2022 (中央手前)《M.B.》2022 (右)平川紀道《S³[hyperspherical coordinates]》《S³[hopf coordinates]》2019 撮影:赤石隆明

 

虚実の交替という自律的な主題は維持されている。それが作品に埋め込まれた生命力となって、環境に呼応しつつ、環境を更新している。そうして作品とその環境との境目が曖昧になって、俯瞰してみれば、生態系としての森が現れる。

それぞれ固有のDNAを持った12 本の菌糸が触手を伸ばし、遷移し続ける木々に絡みつき、互いが互いを侵食しあう動体。「メディウムとディメンション:Liminal」展はそんな世界を出現させていた。

 

INFORMATION

Medium and Dimension: Liminal

Date: 2022.9.3 - 9.27
Venue: Kakinokisou (Tokyo)
Organized by
Curated by Takuya Nakao

WRITER PROFILE

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青木淳 Jun Aoki

建築家/京都市美術館(通称:京都市京セラ美術館)館長。 1956年、横浜生まれ。1982年、東京大学大学院を修了。1991年青木淳建築計画事務所(2020年、ASに改組)を設立。1999年、潟博物館の設計で日本建築学会賞(作品)を受賞。2004年、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。2019年、東京藝術大学教授。2021年、京都市京セラ美術館の設計で2回目の日本建築学会賞(作品)を受賞。

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