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OUT AND ABOUT

第4回 文化庁現代アートワークショップ
2022.9.23 – 24
2日目

Written by 坂口千秋|2023.3.29

 

セッション3:海外における近現代日本美術の展示と言説

モデレーター:加治屋健司(東京大学大学院教授)

発表者:

バート・ウィンザー=タマキ(カリフォルニア大学アーヴァイン校教授)

ガブリエル・リッター(カリフォルニア大学サンタバーバラ校准教授、アート・デザイン・建築博物館館長)

チェルシー・フォックスウェル(シカゴ大学准教授)

 

ワークショップ2日目のセッション3は、近現代日本美術に関する重要な文献の翻訳を行ってきた文化庁アートプラットフォーム事業の観点から、過去に海外、とくにアメリカで開催された近現代日本美術の展覧会を取り上げ、近現代日本美術の展示と言説が国外でどのように受容されたのか、その発信と受容のあり方を歴史的に検証した。

 

 

「アメリカにおける現代日本美術展の反響 1986‒94」

バート・ウィンザー=タマキ(カリフォルニア大学アーヴァイン校教授)

 

ウィンザー=タマキ氏は、1986年から94年まで米国で開催された4つの日本現代美術展「Tokyo: Form and Spirit(東京:その形と心)」、「Against Nature: Japanese Art in the Eighties(アゲインスト・ネーチャー:80年代の日本美術)」、「A Primal Spirit: Ten Contemporary Japanese Sculptures(プライマルスピリット:今日の造形精神)」、そして「Japanese Art After 1945 Scream Against the Sky(戦後日本の前衛美術:空へ叫び)」を比較紹介した。当時こうした日本の現代美術展が企画された背景には、戦後急成長を遂げバブル期を謳歌する日本の経済力に対してアメリカが抱く関心と警戒心があったとウィンザー=タマキ氏は解説した。また日本側にも、日本文化に対する一般的なアメリカのイメージを高め理解を促進したいという狙いがあった。

1986年、ミネアポリスのウォーカー・アート・センターでの「Tokyo: Form and Spirit」展は、アメリカ中西部への日本企業の投資誘致を狙った日米の民間企業と、公的機関が資金援助した。日本の建築家とデザイナーがグラフィックデザインと建築、パフォーマンスを中心に7つのインスタレーションを構成し、首都東京の生活を表現した。「テクノロジーと人間」、「労働における美意識」など、独自の想像力に富んだ解釈をはさんだ展示内容は反響を呼んだが、日本文化の歴史的変遷に触れようとはしなかった。

1989年サンフランシスコ近代美術館を皮切りにアメリカ7都市とICAナゴヤを巡回した「Against Nature: Japanese Art in the Eighties」は、キャシー・ハルブライヒ、トーマス・ソコロフスキー、河本信治、南條史生がキュレーターをつとめた。自然と伝統が調和した日本文化というステレオタイプなイメージに一石を投じ、キッチュなハイブリッド造形を讃え、ポストモダンの思想と関連付けようとする挑発的な現代アート展で、森村泰昌、宮島達男、大竹伸朗などが参加した。西欧文化の影響下で戦後急速に経済成長を遂げた日本の消費主義、テクノロジー主導の社会の影響を映し出すと同時に、「西欧自身の文化の姿を鏡のように映し出した」と評された点は重要である。

一方、「Against Nature」とほぼ同時期に開催された「A Primal Spirit: Ten Contemporary Japanese Sculptures」は、木や天然素材を扱う10人の日本作家が紹介された。日本古来の宗教観に基づく自然に由来した造形精神、という前提に対しては、参加作家の川俣正をはじめ断固否定する者もいた。「Against Nature」と「A Primal Spirit」の主張は相反していた。しかし以後、それが日本の現代アートを貫く継続的な両極性として理解されるようになる。

こうした米国における日本現代アート展の歴史に新たな基準を示したのが、1994年の「Japanese Art  After 1945: Scream Against the Sky(戦後日本の前衛美術:空への叫び)」展である。これまでの日本展が、近現代美術には詳しいが日本については新参者の米国のキュレーターにより企画されたのと異なり、日本についての豊富な専門知識を持ち、日本近代美術史の包括的なナラティヴの構築につとめるアレクサンドラ・モンローが手がけた。ウィンザー=タマキ氏はこれらの展覧会をめぐっては、アートが国家を代表するものであるかどうかという疑問を投じられたが、ほとんどの場合その疑問は払拭され、アートが日本人のアイデンティティに関する深い真実を語るものとして位置づけられ受けとめられたと延べ、プレゼンテーションを終えた。

 

 

「「夏への扉」から「ウィンター・ガーデン」へ 日本のマイクロポップ世代のグローバルな受容」

ガブリエル・リッター(カリフォルニア大学サンタバーバラ校准教授、アート・デザイン・建築博物館館長)

 

ガブリエル・リッター氏は、美術評論家松井みどりが企画した「「夏への扉」と「ウィンター・ガーデン」という2つの展覧会を取り上げた。

「夏への扉:マイクロポップの時代」展は、2007年、水戸芸術館現代美術ギャラリーにて開催された展覧会で、「マイクロポップ」という概念に基づいてキュレーションされた。マイクロポップとは松井が名付けた概念で、広くは「主要な文化に対して、“マイナー(周縁的)”な位置にある人々の創造性である。主要な文化の中で機能することを強いられながら、そのための十分な道具を持たない人々は、手に入るもので間に合わせながら、彼らの物質的欠落や社会的に弱い立場を、想像力の遊びによって埋め合わせようとする」ことを指す。2001年から2007年にかけて村上隆がキュレーションした「スーパーフラット」展が全米、ヨーロッパを巡回して話題となったが、松井は、マイクロポップのアーティストをこうしたオタク文化に影響を受けた村上隆、ヤノベケンジ、会田誠ら作品の対照と捉え、マイクロポップ世代の「子供のような」想像力が、ありふれた日常的な素材や未知の可能性や潜在的な美しさを解き放つことを強調する。

「夏への扉」で紹介された15人のアーティストは、ほとんどが1965年以降に生まれ、1995年の阪神淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件を体験した世代でもある。リッター氏は、マイクロポップ・アーティストたちのパーソナルな実践の中に、現実社会へのマイクロポリティカルな姿勢を見出した松井の視点の重要性を評価する。

「夏への扉」は単館展で終了したが、その2年後、マイクロポップのコンセプトを展開させた「ウィンター・ガーデン:日本現代美術におけるマイクロ・ポップ的想像力の展開」展が国際交流基金の主催で、10年間で世界44ヶ所を巡回した。

「ウィンター・ガーデン」展は、中・小規模のスペースで展示され、「スーパーフラット」展のようなメジャーな反響を得ることはほとんどなかった。しかしリッター氏は、小規模ゆえの親密な距離感が作品との間に生み出されたこと、また海外の同時代の表現を見る機会のない学生やアーティストといった、マイナーな観客にアピールしていた点を挙げ、10年間も地道に世界を巡回した「ウィンター・ガーデン」が、2000年代の日本アートの理解促進に確実に貢献したと結論づけた。

 松井みどり「マイクロポップ宣言:マイクロポップとは何か」(「夏への扉―マイクロポップの時代」展カタログ(パルコ出版)より引用

 

 

「アメリカの美術館における戦後・現代日本美術展覧会の近年の傾向:成長と多様性の促進を見据えて」

チェルシー・フォックスウェル(シカゴ大学美術史学科・東アジア言語文明学科准教授)

 

米国の一般市民にとって日本の現代アートといえば、村上隆と彼のスタイルを踏襲するポピュラーアートを指す。だが、なぜこうした傾向が起きるのか。フォックスウェル氏は、2011年から2022年にかけて行った、米国における戦後以降の日本現代美術展の調査結果と、そこから見える構造的起因を紹介した。

素材別に分けることの限界はあるが、最も多かった展覧会は、実は陶芸・工芸、版画、写真・映像だった。その理由は、美術館内に専用の展示スペースがあること、またジャンル特有の言語や歴史を共有する専門家がいるという美術館の構造に起因すると氏は分析した。またキュレーターへのインタビューからは、予算や時間の制約が、ジャンルや地域を越えたリサーチを妨げていることがわかった。近現代美術のキュレーターに西洋美術の専門家を求めるのが一般的だった米国の美術館も、最近は意識的に西欧以外の地域や専門の異なるキュレーターを採用し、トランスリージョナルなネットワーク形成に取り組む館も現れている。この調査を通してフォックスウェル氏は、現在の米国での日本展やマーケットの傾向を観客やキュレーターの好みと見るのは誤りであり、なぜ集中するのか、構造的な視点から考える必要があると述べた。また、もっと幅広い作品が展示されるためには、キュレーターと美術館だけでなく、ディーラーやコレクターと協働したエコシステムによるアプローチも必要である、と語った。

最後にフォックスウェル氏は、米国の美術館のシステムやコレクションにおける、伝統的な偏見やオリエンタリズムによる歴史的な欠陥を指摘し、西欧中心だった美術史を「時間」の観点から捉え直そうという近年の美術史研究の試みを紹介した。そして美術史家、富井玲子の「同時性」の言葉を引用して、「中心対周縁」ではない豊かなコンテンポラリーの可能性に触れ、「美術館は、現代美術の現在と未来を形成する研究機関。創造的で健全なエコシステムを共に構築していきたい」と語った。

 

 

ディスカッション

 

文化庁アートプラットフォーム事業は、日本の現代アートの持続的発展を目指し、国際的な評価を高めていく取組を推進している。ここでいう日本の現代アートとは何を意味し、どのようにサポートできるのか。続くディスカッションでは、加治屋氏の投げかけで、「日本的なもの」を相対化することや国をベースにした展覧会のありかたについて意見がかわされた。

ウィンザー=タマキ氏は「1980年代、日本は経済的に非常に強力で、その中で日本の文化的ナショナリズムは脅威と受け止められた。しかし最近の多極化したポストグローバル時代では、脅威よりむしろ共感を得るものになっている」といい、幅広い視野に立つ議論とともに、歴史のさらなる検証が必要だと発言した。

ジャンルと展覧会数について興味深い発表をしたフォックスウェル氏は、美術館環境の変化に触れ、「現在は美術館も流動的でジャンルではなくコンテンポラリーの表現として柔軟的に作品を捉え、異なるジャンルの作品が同一空間に展示されることも多い。アーティストも国を越えて活動する現在、その作家の個人的・文化的な背景から作品を見る視点に移っている」と述べた。

フォックスウェル氏の統計で工芸と写真が上位を占めていたことについて、ウィンザー=タマキ氏は、絵画と彫刻を頂点に置く、西欧におけるジャンルのヒエラルキーの影響についてたずねた。フォックスウェル氏は、「陶芸は保管しやすく予算的にもアクセスしやすい。実用的な側面があるのではないか」と答え、リッター氏も、「草間彌生の作品1点の購入予算で竹細工や陶芸なら何十点も購入できる、手軽にコレクションを増やせる利点はある」と付け加えた。

「複数のカテゴリーに分類される可能性があるものを、美術館はどのように分類しているのか」という質問に対して、リッター氏は「コレクションの分類は、どの学芸員がそれを収集したかによって左右されることが多い」と述べ、さらに「米国の美術館では国別のコレクションの見直しが始まっているが、同時にそうした普遍化への批判もある。その作品の文化的特異性を消してしまうことになりかねず、一元的な方法だけでなく、グローバルでオープンな会話が交わせる環境と姿勢が重要」と語った。

多数の言説を引用しながら論拠を組み立てた3つの明晰なプレゼンテーションを通して、歴史の見方は一つでなく、美術史も時代によって変化していくことがわかった。ここで紹介されたようなトランスナショナルな美術館の新しい取り組みや美術史の見直しが、将来どのように歴史として振り返られるのか興味深い。

 

 

セッション4:国際的ダイアログを生み出すために、そのケーススタディ

モデレーター:神谷幸江(美術評論・キュレーター)

発表者:

アデ・ダルマワン(ruangrupa設立メンバー・スポークスマン/ドクメンタ15アーティスティックディレクター)

中村史子(愛知県美術館学芸員/国際芸術祭あいち2022キュレーター)

崔敬華(東京都現代美術館学芸員)

キャロル・インハ・ルー(ヨコハマトリエンナーレ2023アーティスティック・ディレクター、北京中間美術館ディレクター/美術史家、キュレーター))

 

セッション4では、現在開催中のフェスティバル、現代美術館、今後開催されるトリエンナーレのディレクターやキュレーターが一堂に会し、国際的なダイアログを生むプログラム編成の課題について議論した。

 

 

「Lumbung: Documenta 15ーspace as a living room for citizens」

アデ・ダルマワン(ruangrupa設立メンバー・スポークスマン/ドクメンタ15アーティスティックディレクター)

 

ドクメンタ15のアーティスティックディレクターで、インドネシアのアーティスト・コレクティブ「ruangrupa(ルアンルパ)」の創設メンバーであるアデ・ダルマワン氏は、リモートでワークショップに参加した。ルアンルパは、2000年にアーティストによって結成されたコレクティブで、アーティストやアートの実践者が地域コミュニティで存続できるためのサスティナブルな実験と実践を続けている。

ダルワマン氏は、まず「ルンブン」というインドネシアの米貯蔵倉庫について説明した。米を収穫した後、人々は必要な分を取り、残った分はルンブンに集められ、その倉庫を共同で自主的に運営する。2018年、ルアンルパは他のコレクティブと協働してGUDSKUL(グッドスクール)というエコシステムを立ち上げたが、そのメカニズムの中心にもルンブンがある。GUDSKULでは、コレクティブの知識や技術、資金といったすべてのリソースを集め、各コレクティブのニーズに応じて比例配分・共通プールする。ドクメンタ15においても、このルンブンをコンセプトに据えて、展覧会や運営のさまざまな場面でルンブンの実践を試みた。

従来のようにキュレーターがテーマを決めてアーティストに作品を依頼する方法ではなく、特定のテーマを事前に設けず、参加した複数のコレクティブやアーティストとの対話の中から展示場所や内容を決めていく「相互的なコミットメントの関係」だったとダルマワン氏はいう。予算は制作費を均等に割り当てたシードマネーと互助的なコレクティブポットを用意。展示会場をローカルコミュニティへ開かれた空間ととらえ、そこにアーティストも滞在して、生活の中から草の根的に住民と経験を共有していった。フリースクール、クラス、パフォーマンス、展覧会、音楽、シネマキャラバン、料理、マーケット、トーク、カラオケなど、100日間で1,200のアクティビティが行われ、その数はまだ増え続けているという。

独立性と透明性と連帯によって機能するコレクティブのかたちを国際展で実証した実験的なドクメンタ15は、「展覧会というよりも私たちの旅への誘いだった」とダルマワン氏は語った。

 

 

「誰と対話するの?:『国際芸術祭あいち』の場合」

中村史子(愛知県美術館学芸員/国際芸術祭あいち2022キュレーター)   

 

2010年にスタートした「国際芸術祭あいち(旧あいちトリエンナーレ)」の成り立ちは、2005年の愛知万博を背景に持つ。中村氏は、19世紀由来の万博から引き継がれる国民国家のショーケースという旧来モデルから脱却し、21世紀の国際展として、ローカルな地点からインターナショナルなダイアログを目指す、「国際芸術祭あいち2022」の実践を紹介した。

「国際芸術祭あいち2022」は現代美術とパフォーミング・アーツ、ラーニングで構成され、今回は32の国と地域から100組の作家が参加。キュレーションは、国内外のキュレトリアルアドバイザーと国内キュレーターが行い、そのおかげで、コロナの影響がありながらも、これまで以上に幅広い地域の作家と作品が紹介できたと中村氏は振り返る。テーマの「STILL ALIVE」は、世界的コンセプチュアルアーティストで愛知県出身の河原温の作品タイトルから引用した。

観客の6割が愛知在住者というローカルに根ざした「国際芸術祭あいち2022」は、名古屋市の愛知芸術センター、一宮市、常滑市、有松地区(名古屋市)の4箇所にわたる。展示作品の6割が新作であり、地域の特異性だけに依らず、国際的に意義ある作品をつくるためには、その地域の産業や歴史文化を批評的に読み解き、ローカルな事象を国境を越えた文脈へ接続・再配置することが重要な課題だったと中村氏はいう。それによって、地域に暮らす人々も改めて自分たちの土地について学ぶことができる。さらに愛知県に暮らす多数の外国人在住者のコミュニティにも働きかけ、日本語と英語以外の言語によるガイドも試行した。

ローカルとグローバルの二項対立を解体するパワーを持つのが芸術祭であり、ローカルな出来事と世界的な動向、専門家と地域住民の間を循環しながら流動化する、そうしたダイナミズムに国際的な対話の糸口があるのではないかと中村氏は語った。

 

 

「『いまここ』」の拡張に向けて」

崔敬華(東京都現代美術館学芸員)

 

東京都現代美術館(MOT)のキュレーターである崔敬華氏は、美術館のキュレーターという立場で自身が関わった3つの協働プロジェクトを紹介した。まず、アジア太平洋地域のキュレーターとの協働のケースとして、2015年から16年にかけて開催された「他人の時間」展を紹介した。この展覧会は東京都現代美術館、国際交流基金アジアセンター、国立国際美術館、シンガポール美術館、クイーンズランド州立美術館|現代美術館による共催事業として各美術館を巡回した。

東京都現代美術館の改修工事時期を挟んだ2015年から2020年にかけては、非営利文化組織KADIST(カディスト)と5年にわたる連携を行った。ここではエロディ・ロワイエとの共同キュレーションで、2017年に東京藝術大学アーツ・アンド・サイエンス・ラボで「ないようで、あるような」展(「MOTサテライト」の一部として)、2019年にパリのKADISTで藤井光による個展「核と物」展、そして2020年に東京都現代美術館で「もつれるものたち」展を開催した。

また現在、崔氏が行っているアーティストとの協働プロジェクトとして、東京都現代美術館で開催予定のウェンデリン・ファン・オルデンボルフによる個展を紹介し、日本で行う新作制作に向けたリサーチと対話の過程を紹介した。

これら3つの協働は、いずれも現代美術がいかにして今日的な問いを観客と共有し、ナショナルな枠組みを超えて考えることができるかという点を指針においたものと崔氏は語る。「他人の時間」展は、アジア太平洋地域における地政学の変化によってもたらされる同時代性や分断において再/生産される他者性と差異を問い直す試みであり、「もつれるものたち」展は、さまざまな事物ものをめぐる言説や歴史に着目して社会批評を試みるアーティストの作品をリサーチして展示した。そしてファン・オルデンボルフとは、彼女の母国であるオランダと日本の社会的、歴史的文脈の結びつきや距離について考察することが出発点になっている。

このような協働には、関わるキュレーターやアーティストの実践と関心事を捉え、それを踏まえて対等かつオープンに対話する関係を築くことが重要であるという。しかしキュレーターが属する組織の方針や、人的・経済的なリソースの違いによって、キュレーターが担う業務量は大きく異なり、それが協働と対話に大きく影響すると指摘。多くの組織においてキュレーターの専門性が認められておらず、キュレーションの核となるリサーチや対話や執筆以外に、膨大な事務や専門外の仕事を任されている現状に問題提起した。また、今日では観客数や収益など新自由主義的な効果と効率のロジックで展覧会の「成功」を計ることがすでに正常化されているが、国際的対話を基盤にした展覧会が目指す社会変化や人々の意識の刷新は数値化できないからこそ、国際的対話の意義と、そのための時間とリソースの必要性を文化政策でより明確に示すべきだと提言した。

 

 

「International Exchanges That Prioritize Specific Experiences」 

キャロル・インハ・ルー(ヨコハマトリエンナーレ2023アーティスティック・ディレクター/北京中間美術館ディレクター/美術史家、キュレーター)

 

キャロル・インハ・ルー氏は、アーティストのリウ・ディンと共に、「ヨコハマトリエンナーレ2023」のアーティスティックディレクターを務める。

まず、ワークショップのモデレーターである神谷氏と、韓国と台湾のキュレーターとともに複数年に渡って企画した展覧会「Discordant Harmony」について紹介した。この展覧会は、「アジアとは何か」を一貫して問いながら、ソウル、広島、台北、北京と巡回し、アジア諸国間の対話を広げてきた。

「アジア人の隣人同士がいかにお互いを知らないかに気付かされた」とルー氏。「私たちは常に西欧を参照してきたが、それは構築された視点ではなく与えられた視点だった」と語る。

各展覧会は、巡回地ごとにテーマとアーティスト構成が展開した。ルー氏が主導した北京展は、1980年代後半から1990年代前半を対象とした「主観性や歴史的で知的な視点の考察」の窓として、トークには日中のカルチュラルスタディーズの論客を招いた。

他のアジア諸国と同様、中国も1990年代に経済成長の波に乗ったが、その背後にはある特別な条件があった。

「中国のアーティストの多くは、国家への反抗の象徴として民主主義先進国では称賛されたが、よく見ると彼らの多くは当時の国家的イデオロギーに準じていたことがわかる」とルー氏は指摘し、2017年『e-flux』に寄稿した、中国のアーティストの国際化と同時に進行した脱国際化についての論考を紹介した。「西洋文化の受け入れは、文化と知的分野における党の指導力確立のためのステップに沿っていた」

ルー氏は、歴史を知ることはアジアを構築する上で重要な背骨だと語る。ビエンナーレはグローバリゼーションの産物であり、国際展のキュレーターはカルチュラルスタディーズに傾倒するのが一般的になっている。歴史は会話の中で失われ、「ポストモダニズムとその系譜の否定によって激化している」と指摘し、「こうしたワークショップは、批判的な考察を行う良い機会」と語った。

 

 

 

ディスカッション

 

コロナ禍を経てジェンダーや人種差別や国境といったさまざまな分断が表出した世界において、アートは深いダイアログを生むメディアになり得るか。本セッションのディスカッションは、アートの社会貢献という包括的なテーマをめぐって、これまでの登壇者や参加者も加わって意見が交わされた。

「アートは社会に何ができるのか」という問いは何十年も繰り返されてきた、というダルマワン氏は、日常とアートを乖離させてしまっている今のアートの体系を打開していく実践に重きを置きたいと語った。ルー氏は、私たちが直面している分断や制度、概念の問題はすべて20世紀につくられたもので、新たな体系を再構築のためにこそ歴史の再考が重要と述べた。またM+(当時)のピー・リー氏の「時空の共有」という言葉をうけてブリスベン美術館のルーベン・キーハン氏は、パンデミックという世界共通の体験をした若い世代のアーティストたちとの対話が重要と指摘した。アーティストや地域の人、他者との対話を1度だけでなく幾度も重ねることが大切という、ルアンルパのメンバーで現在山口情報芸術センターのレオナルド・バルトロメウス氏の発言もあった。

ダルマワン氏は、ドクメンタ15は、ルンブンとドクメンタの2つのシステムの衝突だったと語った。ドクメンタの縦割り的な原理原則にさまざまな改革を試み、摩擦もたくさん生じたが、こういうやり方もあるというオルタナティブを示せたのではないかと氏は言う。神谷氏は、ドクメンタをはじめ、試みられた国際的ダイアログを生み出すための改革の実践やチャレンジは、大きな議論を呼びながら多様な社会性を取り込んでいく重要な事例を提示していることを指摘し、各自のインスティチューションで、実践を続けることの大切さを再確認してセッションを終了した。

 

ワークショップ最終日となる3日目は、参加者によるラップアップ・セッションと国際芸術祭あいち2022の視察が行われ、2022年度のワークショップは終了した。

 

 

2018年度から日本の現代アート振興と国際的な発信をめざしてきた文化庁現代アートプロジェクトは、今年度で文化庁の委託事業としての5カ年の事業計画を終え、来年度から新たなフェーズへと移行する。今回のワークショップは、これまでの5カ年を総括して次のフェーズへとつなぐ橋渡し的な内容となった。複雑に多様化した現代の国際社会においては、共有される歴史や視点も変化していくこと、また1990年代に始まったアジアのネットワークづくりが2020年代にはアクチュアリティのある連帯へと成長している実感は心強いものだった。21世紀もまもなく四半世紀を過ぎようという現在、日本の現代アートを振興する文化政策が、日本すごいといった自国のポジションアップの目線から脱却し、国際社会の一員として相対的な地平に立ち、そこに国民を引きあげるために現場の実践を後押しするものであることを願う。

 

 

INFORMATION

第4回 文化庁現代芸術ワークショップ

日時:2022.9.23 - 24 (1日目)
場所:愛知芸術文化センター(ZOOMウェビナー)

主催:文化庁
撮影:仙石健(.new)

WRITER PROFILE

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坂口千秋 Chiaki Sakaguchi

アートライター、編集者、コーディネーターとして、現代美術のさまざまな現場に携わる。RealTokyo編集スタッフ。

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