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OUT AND ABOUT

伊藤郁女 ダンス公演「じゃんけんぽん」
小田原文化財団 江之浦測候所
2023.7.23

Written by 住吉智恵|2023.11.16

@小田原文化財団

 

江之浦測候所を舞台に、これほど力強く「身体」に肉薄する表現に立ち会うのは初めてだった。

この7月、本年よりフランスのストラスブール・グランテスト国立演劇センター「TJP」のディレクターに就任した振付家・ダンサー、伊藤郁女が手がける1日限りのダンス公演が開催された。

伊藤郁女は、ニューヨークのアルビン・エイリー・ダンスシアターで研鑽を積み、2003年にフィリップ・デュクフレ作品『Iris』の主役に抜擢された後、ジェームス・ティエレやシディ・ラルビ・シェルカウイ、アラン・プラテルなど世界の名だたる振付家の作品に出演してきた。2015年には拠点をフランスに移し、自身のカンパニー「HIME」を立ち上げた。

2018年、ヴェルサイユ宮殿での杉本博司の個展において、フランス式整形庭園に展示された硝子の茶室《聞鳥庵(もんどりあん)》でソロ・パフォーマンスを行っている。その迫力の一端を映像で観た記憶からか、一匹の蝶がガラスの標本箱から勢いよく躍り出る姿をイメージしながら本公演に向かった。

 

@小田原文化財団

 

猛暑の灼熱もおさまり暮れなずむ江之浦の石舞台で、3人の演者のパフォーマンスが始まった。

俳優・吉見亮が、大道芸の客寄せの太鼓よろしく、各種打楽器を奏でながら特別な神楽の始まりをふれ回る。すると重い石棺の下から何やら生き物の蠢く気配。にょっきりと白い脚が突き出たかと思えば、貝殻のブラと腰蓑をまとったアマノウズメならぬダンサー・振付家の川村美紀子がおもむろにこぼれ出た。(10年前に現代美術家・束芋の家での公演打ち上げBBQで焼いた記念の帆立貝だそうだ)

続いて巨石の隙間から姿を現したのはアマテラスオオミカミ、ではなく伊藤郁女のほっそりとした腕と脚だ。そろって現世に蘇った蝶々たちは、海に向かって仁王立ちで咆哮し(蝶じゃない)、観客からとびきりのイケメンを仕留めて絡みつき(カマキリかも)、命を取り戻した喜びをあらわに暴れまくる。

吉見がシェイクスピアの一節を唱えると、伊藤はその言葉に向かって指を差し、「うそだ!」と鋭く叫んだ。言語表現に関わる観客の多くがぎくりとした瞬間かもしれない。

 

写真:住吉智恵

 

ここで3人の演者はじゃんけんで順番を決め、広大な敷地に散っていく。各所を移動しながらパフォーマンスを繰り広げる彼らに導かれ、観客は思い思いに蜜柑畑を見下ろす石段や森の小径を回遊する。

伊藤の軽快な足取りにあたふたとついて行くと、小さな神社で踊る川村と合流した。奈良・春日大社より神霊の勧請を受けて建立された春日信仰の社である。

「会場の下見でこの神社の鳥居を見たとき、(川村)美紀子と共演しようと思いました」と伊藤は語る。「彼女が感性豊かに踊りを共有するとき、その〈一緒にいること〉の捉え方はほかのダンサーと違うんです。蝶々のように素早く、生まれ持った特別な身体の動きで、あるいは動き出す前から音楽的に、人や樹や風景との関係性を捉えます」

 

@小田原文化財団

 

川村美紀子はこれまで彼女自身のダンス作品や楽曲はもちろん、川口隆夫の舞踏や市原佐都子の演劇作品への客演でも、常に手加減も容赦もない怪演を見せてきた。だが、他者に演出をほどこされる作品でありながら、身体と心の可動領域をここまで自由に享受した現場は今回が初めてではないか。

紺碧の海と空に映える朱色の祠を祀るように、ふたつの身体が躍動し、非言語の対話で生を寿ぐ。伊藤と川村の成熟した野性味から、「女神(にょしん)」の憑依を妄想した印象深い場面だ。そのひとときは軽く御祈祷を戴いた感じで、我が身の憑き物をも祝福してもらえたような錯覚すら覚えた。

「原初の風景を思いながらこの作品を創作しました。日本神話によれば、御神楽の始まりは雨乞いの踊りといわれます。ダンサーの原点は神様の御告げを伝える巫女であり、すでにそこに存在する自然の一部なんですよね。演出家の仕事も、すでにあるものを発掘すること、道具としての自分を通り抜けたものが広まっていくことだと思っています」と伊藤は語ってくれた。

 

@小田原文化財団

 

柑橘山や竹林をめぐり、観客たちが硝子の舞台に集まってきた。光学ガラスが煌めきながら海に溶け込む舞台には、吉見の和太鼓の調べが冴え冴えと響きわたり、伊藤と川村がゆったりと身体を泳がせている。心地よさに陶然としていると、伊藤は纏っていた衣を脱ぎ捨て、パンツも放り投げ、真っ裸の姿で踊りはじめる。

川村が貝殻の衣装を外して加わり、吉見も演奏を終えて裸族の仲間に入ると(「今日は僕が生まれ変わった記念日」と彼は嬉し恥ずかしげに話していた)、3人はガラスの舞台に大の字で寝ころんだ。服を着て客席に座っていることがあほらしく思えてくる。誰も知り合いがいなければそこに参加したかもしれない。

「言葉よりも信頼できるものがあることで、感性が鋭くなり、それがダンスや彫刻のなかに現れる」と伊藤は過去のインタビューで語っている。(彼女の父と母はともに彫刻家である)

表現者が互いの身体の周辺にある意味を感じ取ろうとする創作のプロセスと同様に、この日の作品体験も、そこに居合わせた生身の身体に浸透する原初的なやりとりに他ならなかった。それはときに齟齬や曲解が分断・対立をもたらす言葉よりも、遥かに深い受容性に満ちた「うそのない」言語となり得るのではないか。

江之浦に透きとおった気持ちのよい空気が流れる。主客の差を超えて、身体という自然の恵みを歓びあう太古の風景がそこにあった。海をわたってくる風が、彼らの身体を労わりながら、さまざまな言葉を吹き散らし、その日の夕暮れを告げていた。

INFORMATION

伊藤郁女 ダンス公演「じゃんけんぽん」

日時:2023年7月23日
会場:小田原文化財団 江之浦測候所
企画・構成:伊藤郁女
衣装:Aurore Thibout
出演:伊藤郁女、川村美紀子、吉見亮
主催:公益財団法人小田原文化財団

WRITER PROFILE

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住吉智恵 Chie Sumiyoshi

アートプロデューサー、ライター。東京生まれ。慶応義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業。1990年代よりアート・ジャーナリストとして活動。2003〜2015年、オルタナティブスペースTRAUMARIS主宰を経て、現在、各所で現代美術とパフォーミングアーツの企画を手がける。2011〜2016年、横浜ダンスコレクション/コンペ2審査員。子育て世代のアーティストとオーディエンスを応援するプラットフォーム「ダンス保育園!! 実行委員会」代表。2017年、RealJapan実行委員会を発足。本サイトRealTokyoではコ・ディレクターを務める。http://www.traumaris.jp 写真:片山真理

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