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OUT AND ABOUT

YPAM – 横浜国際舞台芸術ミーティング 2023
2023.12.1 – 17

Written by 高橋宏幸|2024.1.30

オル太『ニッポン・イデオロギー』 撮影:前澤秀登

 

小ささからはじまる——YPAM 2023

 

2023年のYPAM(横浜国際舞台芸術ミーティング)が、開催された。横浜が開催地であることにかわりはないが、中心となるスポットは京急線沿線の黄金町から南太田界隈に移ったようだ。ミーティングのスポットも一部はみなとみらい線方面にも残るが、よりローカリティあふれる場所になった。それは、ローカルであり、コミュニティとともにあるような、小ささを感じさせた。

たしかに、集まるのはグローバルに世界各地で活動するアーティスト、プロデューサー、プレゼンター、助成団体などのあらゆる舞台芸術の関係者たち、そして観客だ。世界中を移動する、遊動するものにとって、この小さなローカルな場所は、まるでいっとき立ち止まる停留所や波止場のように思えたのではないか。

もちろん、そこに集うものにも、それぞれの背景である世界各地の都市や地域というローカリティはある。YPAMによって訪れた、この小さなローカルな場所と、それぞれの地域のローカルさ。それぞれの地域の特殊性がつながる先に、本来のグローバリティの地平は存在する。差異だけを強調するのでもなければ、いたずらに普遍性を挙げるのでもない。2023年のYPAMは、まだ見ぬ向こう側にあるものを小ささから示そうとしたのでないか。

 

總持寺でのレセプション 撮影:前澤秀登

 

總持寺での坐禅の様子 撮影:前澤秀登

 

そのひとつとして、12月1日のオープニングセレモニーでは、「YPAMフリンジソサエティ」の設立が宣言された。YPAMにMeetingの名がふくまれるように、フリンジという企画に参加者の声を反映させるミーティングから一歩踏み込んだ、ゆるやかなコミュニティの形成が目論まれているようだ。

また、曹洞宗の大本山、總持寺で行われたレセプションも、同じように足元から始まる企画だ。禅もまた、かつて鈴木大拙や『弓と禅』のオイゲン・ヘリゲルによって、西洋に紹介された。かつての禅という日本文化の受容には、神秘主義やオリエンタリズムも強く働いたかもしれないが、ここでは実際に禅の体験を通じて、ローカルな近さにふれる。

 

フリンジ作品から

その小ささを考えるためにも、まずフリンジの作品からレポートしてみたい。

捩子ぴじんが、作・演出・構成・振付などすべて一人でこなしたパフォーマンス作品『ストリーム』は、黄金町の隣町にある「若葉町ウォーフ」という劇場で上演された。日本におけるコロナのはじまりから、社会的なトピックとなった出来事が羅列される。そのなかで、自身の生活に起こった変化が重ね合わされる。

 

捩子ぴじん『ストリーム』 撮影:脇田友(スピカ)

 

朗読のように語るシーンもあれば、なにかを演じるかのような身ぶりもある。さらには、その動きは踊るともいえる、ゆらぎであり、たゆたいであり、浮遊するような舞いにもなる。それが随所に入れられる。

朗読ひとつをとりあげても、趣向が深い。捩子自身が話していたかと思うと、音源の声と自身の声がオーバラップされる。そうかと思えば、いつしか音声のみになる。内容も、毎日の生活など、朝起きたとき、猫との戯れなど、日々の出来事なのだが、雷の擬音を何度も繰り返すことなど、それは時に生活の描写になる。コロナという大きな状況で起きたことと、そのコロナの中に巻き込まれた自身の生々しい声の二重性が示される。いわば、コロナという客観的な事実と個人の主観的な想いを構造的に両居させる。

だから、たゆたうような動きの身振りが、コロナにおいてなにを為すべきか、なにを為したのか、その状況のなかでかろやかに浮かんだ自身のメタファーになる。コロナを生き抜くために、社会に必要なライフラインであるゴミ収集の仕事に就いたエピソードなどは、現実の側面を突く。演出の妙もあり、小品かもしれないが、その密度と精度は高い。

 

劇団あはひ『SONNET Jazz ver.』

 

若手として頭角を現しつつある劇団あはひは、日ノ出町のシャンソンバーにおいて、『SONNET Jazz ver.』(作・演 大塚健太郎)を上演した。英文学者の吉田健一のエッセイ、シェイクスピアやオスカー・ワイルドの翻訳テキストの一部を引用、コラージュして、その世界観に触発されたテキストに昇華した。上演された空間はシャンソンバーであり、バンドから奏でられる音は、舞台と奇妙な感覚の関係を作り出す。かつては日本家屋で公演(https://www.youtube.com/watch?v=I_uGu-TQW5Q)されたようだが、湯豆腐をつつく男たちの淡々した会話とシャンソンバーのコントラストは、絶妙なシリアスさとおかしさとなる。

それらの会話と演じる身ぶりは、吉田健一から触発されたものであれ、しばしば批評や形式という言葉によってメタレベルでの作品への言及があるように、淡い会話の奥底に潜ませた自身の批評的な作風のスタンスとなった。

 

ディレクション作品から

今年は、「オル太」という団体の『ニッポン・イデオロギー』という作品が、主催するYPAMのディレクション作品となった。昨年のワーク・イン・プログレスを経て、満を持して今回の本作品へとたどり着いた。その作品は、大作と呼ぶべきなのか、それとも小品と呼ぶべきなのか、その形態自体がユニークなものだ。

 

オル太『ニッポン・イデオロギー』 撮影:前澤秀登

 

オル太『ニッポン・イデオロギー』 撮影:前澤秀登

 

ひとつの作品は1時間に満たない。しかし、合計で6本あり、総計は6時間近い。各回入れ替えもあるほどだから、連作ではなく、一作ずつで完結していると見なすべきだろう。しかし、一作だけでは、まるで消化不良を起こす。全作品に共通することは、明確な始点も終点もない、リニアな筋を持たないパフォーマンス作品ということだろうか。

ただし、それはイデオロギーなるものをパフォーマンスという表象にするときにいかなる方法が可能かを考えさせる。通俗的な演劇ならば、そのイデオロギーを唱えたものを主人公にして、物語にするだろうか。そのような方法を忌避するように、イデオロギーというものを、情報や言葉、歴史の出来事や象徴的なモニュメントを置き、まるでイデオロギーそのものの表象を試みるようだった。ひとつひとつを取れば、たしかに断片であり、その集積かもしれないが、それが言説として、いつしかニッポンのイデオロギーの様相を呈する。空間に配置された魚雷や自動ドア、ピノキオ人形など、さまざまなマテリアルは、イデオロギーにまるで質量を感じさせることに一役買っている。

あえて、それぞれの作品のモチーフを言うならば、一作目は敗戦の玉音放送が語られるように天皇制だろうか。二作目はこんにゃくなど食べ物。三作目は現代古語演劇という言葉にあるように、源氏物語など歴史。四作目は沖縄の歴史や基地問題など、五作目は在日朝鮮人、六作目は戦争でもあり、全体の総括的なイシューとなっている。特に、四作目、五作目は、具体的なポリティカルな問題とイデオロギーが、細やかなエピソードと絡まって際立つ。

イデオロギーという言説が、まるで質量となるような、六作すべて観て、感じるものがある。戦時期のニッポンのイデオロギーなるもののうすさとイデオロギーによって左右された人々の生き様の重さなど、思想の深さというよりも、イデオロギーとは何かという根底を考えさせられる。

 

YPAM連携プログラム

「イタリア コンテンポラリーダンスショーケース」は、4本の作品が集まっためずらしい企画だ。その中から、ひとつを取り上げてみたい。

 

ヤコポ・イェンナ『Some Chirographies』 撮影:前澤秀登

 

ヤコポ・イェンナ『Some Chirographies』は、背景のスクリーンに映されるコラージュされた映像と舞台で踊るひとりのダンサーの動きによって構成される。映像には、コンテンポラリーダンスの歴史を刻む、名だたる作品が、順不同にリミックスされて、引用される。一例を挙げると、クルト・ヨース、マリー・ヴィグマン、ピナ・バウシェ、ローザス、トリシャ・ブラウンなどなど、ダンスのさまざまなジャンルを横断的に渡り、バレエからポストモダンダンス、ヒップホップなど現代のエンターテイメントなダンスまで、挙げればきりがない。ほかにも、映画ならばゴダールの『はなればなれに』のダンスシーンもある。

そこから舞台で踊るダンサーの動きが抽出される。たとえばツイストやリフトアップのシーンを羅列して、舞台のダンサーも真似るのだ。もちろん、動きそのものは同じでも、身体性の違いは如実にある。いわば、踊りの断片を切り取っても、そこには動きとスタイルの差異が強調されることになる。

後半になると、ダンスそのものが問われるような映像が用いられる。昆虫や動物の映像の引用からは、動くこと、踊ることとはなにか、引いては身振りやコレオグラフとはなにかといった問いかけがなされるようだ。

シンガポールのパフォーマンス作家であるチョイ・カファイは、過去の名作のダンスをメタシアターならぬメタダンスとして、アイロニーとともに作品にした。しかし、この作品は、歴史的名作から影響を受けることは同じであっても、その表象からは、あくまでアートの強度として、アイロニーを除く作風で表現した。

 

エクスチェンジから

エクスチェンジ企画は、シンポジウム、プレゼンテーション、ラウンドテーブル、さらにはスタジオショーイングとして、ショウケースもあった。さまざまなテーマに沿って話されるが、その基調には、国や大きな歴史を代表するような議論をしないことだろうか。

 

エクスチェンジ 撮影:大野隆介

 

たとえば、ノルウェーの北部地域のアートシーンについて。『Uredd/恐れ知らず—北欧・北極圏で芸術活動を展開し確立する』。ここでは、Davvi Centre for Performing Artsを中心としたノルウェーの北の地域のアートシーンについて、地理的、歴史的な背景からはじまり、劇場や団体の説明が、具体的なアーティストのプレゼンテーションを含めて行われた。

 

エクスチェンジ 撮影:大野隆介

 

また、スペインのマドリード、韓国のソウル、トルコのイスタンブールのフェスティバルのプロデューサーたちを招いた、国際交流基金とYPAMの共同主催『舞台芸術と国際交流ー海外のフェスティバル専門家の視点からー』。大規模なフェスティバルであり、国際都市であることはもちろん、それぞれのフェスティバルの背景にある理念や地域を、カーニバル的な多様性の空間として語った。

 

これらの企画や作品は、ひとつひとつは確かに小さきものだ。そして同じような小さなプラットフォームであるYPAMが、それぞれの都市や地域のグローバルの状況のなかに懐胎する小ささをつなげようとする。まるで、すべてはそこから始まると言うように。

 

INFORMATION

YPAM - 横浜国際舞台芸術ミーティング 2023

会期:2023年12月1日〜17日
会場:KAAT神奈川芸術劇場、横浜赤レンガ倉庫1号館、BankART Station、曹洞宗 大本山總持寺、フォーラム南太田(男女共同参画センター横浜南)、Amazon Club、他
主催:横浜国際舞台芸術ミーティング実行委員会(公益財団法人神奈川芸術文化財団、公益財団法人横浜市芸術文化振興財団、特定非営利活動法人国際舞台芸術交流センター)
共催:横浜市 にぎわいスポーツ文化局
助成:公益財団法人セゾン文化財団、公益社団法人企業メセナ協議会 社会創造アーツファンド、リコー社会貢献クラブ・FreeWill
協力:BankART1929、特定非営利活動法人黄金町エリアマネジメントセンター、公益財団法人横浜観光コンベンション・
ビューロー、株式会社サイエンスアーツ、横浜中華街発展会協同組合、キリンビール株式会社
後援:外務省、文化庁、神奈川県、国際交流基金

WRITER PROFILE

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高橋宏幸 Hiroyuki Takahashi

1978年岐阜県生まれ。演劇評論家。桐朋学園芸術短期大学 演劇専攻 准教授。日本女子大学、多摩美術大学などで非常勤講師。世田谷パブリックシアター「舞台芸術のクリティック」講師、座・高円寺劇場創造アカデミー講師。『テアトロ』、『図書新聞』で舞台評を連載。Asian Cultural Councilフェロー(2013年)、司馬遼太郎記念財団フェロー(第6回)。

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