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PERFORMANCE

第26次笑の内閣『そこまで言わんでモリエール』
こまばアゴラ劇場、2018年11月21日 – 25日

Written by 藤原央登|2018.12.13

撮影:脇田友

 

モリエールと同じ土俵に立った高間響

 

ネット右翼、風営法、福島県、暴力団、女性政治家etc。京都の劇団、笑の内閣はこれらの題材を、独自の喜劇で劇化してきた。今作の題材は、諷刺劇で知られるフランスの劇作家・モリエール。モリエールの人柄と演劇思想をテコにして、喜劇を自己言及的に問うた。これまでの社会事象の劇化が各論だとすれば、本作は高間が満を持して放った演劇に対する総論の趣があった。

 

撮影:脇田友

 

1665年12月、モリエール(髭だるマン)が率いる劇団は、劇作家・ラシーヌ(亮介)の悲劇『アレクサンドル大王』を上演していた。しかし、ラシーヌがブルゴーニュ座に上演許可を与え、さらにモリエール劇団の看板女優、マルキーズ・デュパルク(熊谷みずほ)も引き抜いた。『アレクサンドル大王』の公演収益は激減。その件について、モリエール劇団の楽屋にやってきたラシーヌを交えた騒動が描かれる。

そのことを通して、モリエールの人間性が浮かび上がってくる。モリエールは、何よりも笑わせないといけない喜劇が、いかに悲劇よりも創ることが難しいかを説く。一方で彼は女癖が悪い。劇団内には本妻だけでなく複数の愛人がいる。喜劇に対する深遠な思想に反して、当たる芝居を追い求める劇団経営者であり、かつ女性にだらしない世俗的な人物なのだ。両義的な側面を持っているからこそ、モリエールは人間や世の中の矛盾に敏感で、それを諷刺することができた。この筋運びには説得力がある。

実はここまでの展開は、モリエールの自伝を作るためにラシーヌが自伝作家(澤田誠)に語った回想である。いかに偉大なモリエールに献身的に仕えたか。自らを良く見せようとする度に、別の証言者が「嘘だ!」と相対化する。都合良く物事を解釈して美化する人間の滑稽さが描かれるのだ。

 

撮影:脇田友

 

実は本作は、モリエールの自伝を作るために、ラシーヌを含む3人の人物による回想形式となっている。いかに偉大なモリエールに献身的に仕えたか。自らを良く見せようとする度に、別の証言者が「嘘だ!」と相対化する。都合良く物事を解釈して美化する人間の滑稽さが描かれるのだ。

注目すべきなのは、諷刺の対象が作・演出の高間響にも及ぶ点だ。最後に、モリエールと高間によるプロレスさながらのマイクパフォーマンスが繰り広げられる。そこで高間はモリエールに痛罵される。高間は都合良くモリエールの台詞を引用して、作品のダシに使っている。自身をモリエールと同列に扱っているがそこまでの実力はない、という具合に。ラシーヌらを諷刺する高間が、自らが批評される場面を創ったこと。ここには、人間の諷刺を突き詰めた深さがある。だからこそ、モリエールに対する真摯な姿勢と、高間の喜劇に対するこだわりが逆照射される。結果的に、高間はモリエールと同じ土俵に立ったのである。

モリエールの髭だるマン、その愛人の夫を演じた上原日呂など、人間的な個性を武器した俳優陣が、充実した内容の劇世界を支えた。

INFORMATION

第26次笑の内閣『そこまで言わんでモリエール』

こまばアゴラ劇場
2018年11月21日 - 25日
原案:モリエール『女房学校批判』『ヴェルサイユ即興劇』ほか
作・演出:高間響

WRITER PROFILE

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藤原央登 Hisato Fujiwara

1983年大阪府出身。劇評家。 演劇批評誌『シアターアーツ』編集部員。共編著『「轟音の残響」から──震災・原発と演劇──』(晩成書房)。国際演劇評論家協会(AICT)日本センター会員。

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