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PERFORMANCE

色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)〜 かさね
国立劇場小劇場
2022.8.22– 23

Written by 桂 真菜|2023.2.28

©撮影:田口真佐美

 

歌舞伎俳優の尾上右近と、吉田簑紫郎が遣う文楽人形が共演する舞踊劇『かさね』

 

コロナ禍にあっても、2022年のパフォーミングアーツ界では、果敢な挑戦が未来に希望を灯した。歌舞伎俳優と文楽人形が共演する舞踊劇『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)』(以降、通称の『かさね』と表記)は、伝統芸能の進化を志す企画だ。同作は歌舞伎俳優、尾上右近の自主公演「研の會」で披露された。長い歴史をもつ歌舞伎や文楽では、シェイクスピア戯曲に基づく創作など、時勢に呼応する試みが続く。歌舞伎と文楽の境界を超える『かさね』では、古典を素材にした新しい表現が芽吹いた。右近は歌舞伎の伴奏で親しまれる清元の宗家に生まれ、映像でも活躍している。文楽の人形遣いは吉田簑紫郎。人形の詞(ことば/せりふの意)を語るのは右近の父、清元延寿太夫で、三味線演奏には兄、斎寿も加わった。

怨念と除霊の因果話、「累(かさね)伝説」は江戸時代から流布して、設定の異なる作品が文楽や落語においても派生した。そのひとつである『かさね』のあらすじを記そう。母と密通して父を殺めた男とは知らず、奥女中かさねは与右衛門を慕い身ごもった。二人が鬼怒川で心中しようとした矢先、卒塔婆に乗って眼窩に草苅鎌のささった髑髏が流れてくる。それを見て、死霊のたたりに気づいた与右衛門は、草苅鎌をかさねに向ける……。凄惨な舞踊劇(執筆は松井幸三)を含む、鶴屋南北作『法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)』の初演は文政六年(1823)。残虐性と諧謔に富む作風の南北が著した、『四谷怪談』(1825)のヒロイン、お岩に似て、かさねも顔が崩れ死後は幽霊となる。

 

因果によって変貌するかさね(右近)と、殺意を秘めた与右衛門(簑紫郎)の鬼気迫る応酬。生身の役者同士とは、異なる怖さが出る。©撮影:田口真佐美

 

右近はかさねと与右衛門を回替わりで演じ、簑紫郎も両役の人形を遣った。筆者が鑑賞したのは、右近がかさね役を担う回だ。男女の性、および役柄の切り替えには、女形と立役(たちやく/男性役の意)の双方を演じられる、右近の強みが発揮された。ドラマやバラエティで現代的な素顔を知られる青年俳優だけに、恋する佳人、心身に傷を負う悪女、妄執に憑かれた怨霊、爽やかな船頭の与吉、という変貌が観客に鮮やかな印象を刻む。

 

男女の性や役柄を切り替えて演じる右近は、幕切れには小粋な船頭に扮する。©撮影:田口真佐美

 

圧巻は人形と俳優の協働がもたらす効果である。例えば、かさねを与右衛門役の人形が襲うと、草苅鎌が大きく見えて死神を彷彿させた。優位に立つ側が、入れ替わる過程もスリリングだ。父の卒塔婆を与右衛門が折ると、かさねの脚が痛み、髑髏から鎌を抜けば、左目の周囲に痣が浮かぶ。苦しむかさねに鏡を突きつけ、「これが私の貌(かお)かいなァ」と慟哭させる場では、人形の与右衛門が君臨した。しかし、終盤の立ち回りで、かさねが髪や帯を乱して与右衛門を追うあたりから、力関係が逆転。異形ぶりが濃くなったかさねは、冥府下降者の影を帯びる。とどめを刺され亡霊になると、花道に去った男を戻す「連理引き」の手つきから、魔界の妖しさを放つ。ところが、怨霊に「操られる弱者」に堕した与右衛門は、人形ならではの跳梁を始める。この場で男が意志に反して、女の情念に引きずられ回転させられる動きが明瞭であれば、文楽人形は俳優と拮抗して、観客のイメージを更に飛躍させただろう。

 

たおやかなかさね役の人形は、ガブ(一瞬にして口が裂け、赤い目と化す仕掛けを凝らした首)を用いる技法で、恨みを燃やす面相に転じた。襦袢の袖に散る紅葉は、血しぶきの象徴。©撮影:田口真佐美

 

観劇後は稀有な取り組みの面白さとともに、人間と人形のバランスの難しさが記憶に残る。文楽の舞台との構造の差もあって、時に宙に浮いた人形が所在なげに見える。そのような折は与右衛門の色悪としての魅力も、かさねとの深い因縁も薄らぐ。両者が緊密に関わるためには、登場人物の位置、照明、装置などに再考を要す。この先、歌舞伎と文楽が融け合う本作が磨かれたら、分野や国境を越えて鑑賞者の関心を集めるかもしれない。フランスの演出家アリアーヌ・ムヌーシュキン率いる太陽劇団(1999年初演のエレーヌ・シクソー作『堤防の上の鼓手』を、2001年に新国立劇場で公演)は、文楽や歌舞伎も創造の糧にして、新たなスタイルを育んできた。異質の伝統芸能が共存する日本発の舞台も、各地で表現の開拓者および観客と触発し合えるのではないか。また、今回の『かさね』のような実験性が豊かな作品には、古典を楽しむ層の幅を広げる可能性も期待できる。

 

祐天寺の「かさね塚」の紅葉は、流血を表す襦袢の模様と響きあう。©photo: Mana KATSURA

 

本稿の終わりに江戸中期(1718)に開創された目黒の祐天寺の石碑、かさね塚を紹介しよう。長らく上演が途絶えていた『かさね』は、大正九年(1920)に再演され好評を博す。その六年後、かさねの霊を鎮め成仏させた、といわれる江戸時代の高僧、祐天上人ゆかりの寺に、右近の高祖父の五世延寿太夫と歌舞伎役者によって、かさね塚が建立された。今秋、かさね塚にお参りした筆者は、頭上と地面を覆う紅葉に震えた。血汐に見立てられる紅葉を染めた、かさねの襦袢を想わす樹が、塚に寄り添っていたのだ。

 

仏舎利殿の壁の大絵馬『祐天上人かさね済度』(1986、月岡榮貴)には、川辺のかさねと与右衛門、怨霊を解脱させた祐天上人が描かれる。©photo: Mana KATSURA

 

INFORMATION

色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ) かさね

日時:2022年8月22日、23日
会場:国立劇場小劇場
主催・制作:尾上右近事務所、萩森之一
振付:藤間勘十郎
出演:尾上右近、吉田簑紫郎(人形浄瑠璃文楽座)

WRITER PROFILE

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桂 真菜 Mana Katsura

舞踊・演劇評論家として複数のメディアに寄稿。㈱マガジンハウスの編集者(雑誌ブルータス、書籍「アンのゆりかご、村岡花子評伝/村岡恵理著」「シェイクスピア名言集/中野春夫著」「現場者/大杉漣著」等)を経て現職。実験的な作品から古典まで、多彩なパフォーミングアーツを巡り、芸術と社会の関係を研究。90年代前半から海外の国際芸術祭を視察し、美術評論や書評も手掛ける。国際演劇評論家協会(AICT) 会員。早稲田大学演劇博物館招聘研究員。

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