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PERFORMANCE

マタイ受難曲2023 – 神と嘘 –
Hakuju Hall
2023.1.7 

Written by 林田直樹|2023.2.9

写真:永島麻実

 

18世紀のドイツで生み出された、史上最高の宗教音楽のひとつである、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)の「マタイ受難曲」を、いまあえてジャズやポップスのミュージシャンが演奏することの意味とは何だろう?

歌手たちは皆マイクを持ってポップスの流儀でドイツ語で歌い、エヴァンゲリスト(語り部)は歌手ではなく3人の俳優が日本語で演じる。コラールの部分はボーカロイド(合成音声)がドイツ語で歌う。こうした大胆なアプローチをしなければならない理由とは一体何だろう?

頭ガチガチのクラシック音楽専門家や愛好家からしたら、はっきり言って噴飯ものの企画である。だが、そういう人は格調高いバロックの演奏家のコンサートに行けばよい。今回ここでおこなわれたことは、原典に忠実で完成度の高い音楽を「目的」とするのではなく、挑戦し逸脱することによって音楽を「手段」とする行為である。

 

写真:永島麻実

 

クラシックよりもポップスが優れている点とは、すぐれて同時代的に響くということだ。それは小劇場演劇も同じである。ベルカント的な発声法ではなく、マイクを持ったポップスのやり方で歌うことのメリットがあるとすれば、歌をより等身大の、自分自身のものにできるということだろう。

その長所を生かしながら、バッハを全く別な風に、もっと現代人にとって痛切な体験となるように演奏できるのではないか。その発想がこの企画の根底にはおそらくある。

本来の「マタイ受難曲」は、イエス・キリストの受難と復活をめぐる新約聖書の物語を、語り部であるエヴァンゲリストが状況説明をしながら、ソロ歌手たちや合唱団がさまざまな役割を演じつつ、臨場感豊かに進められていくドイツ語の音楽劇である。

そこには、単なる美しい祈りの音楽という次元にとどまらない、リアルなドラマがある。イエスを裏切る弟子たちの嘘や弱さ、捕縛され十字架にかけられるイエスを嘲笑し唾を吐きかける群衆たちの憎悪。そうした人間臭くて醜いものを描くときのバッハの迫真の筆致も、「マタイ受難曲」の欠かせない魅力なのである。

 

写真:永島麻実

 

今回の「マタイ受難曲2023」のユニークな点は、こうした本来の「マタイ」のイエス受難の物語だけでなく、エヴァンゲリストの語りの部分に、大胆にもドストエフスキーの長編小説「カラマーゾフの兄弟」から「反逆」と「大審問官」の章のイワンとアリョーシャの対話エピソードを挿入し、二重構造の物語としたことである。

なぜ「マタイ受難曲」に「カラマーゾフの兄弟」を重ねたのか?

それはおそらく、人間誰しもが持っている暴力とサディズム、欺瞞と愚かさについて、バッハもドストエフスキーも同じように深く洞察していた――そのことに今回の「マタイ受難曲2023」の企画・脚本・編曲・音楽監督のshezoo(シズ)が、気付いていたからではないだろうか。

この着想は大変うまくいっていたと思う。新約聖書における捕縛されたイエスをあざ笑う群衆の醜さと、「カラマーゾフの兄弟」における幼い少女を虐待して快感を覚える肉親のおぞましさは、不思議に響き合いながら、現代的にアレンジされたバッハの音楽へと、演奏の熱気ともども、当日の観客を憑かれたように引き込んでいったのだから。

ちなみに、「マタイ受難曲2023」の2年前に開催された「マタイ受難曲2021 -人は嘘をつく-」(豊洲シビックセンターホール、2021年2月20, 21日)では、近未来SF的なオリジナル台本が用いられていた。そちらも独自の面白さがあったが、今回のドストエフスキーからのエピソードの方が、より普遍的な力のある物語として感じられた。

 

写真:永島麻実

 

アレンジについても少し触れたい。

本来「マタイ受難曲」では会衆の歌う讃美歌のように随所で挿入されるコラールの部分を、ボーカロイドが歌っていたのは非常に効果的であった。あの祈りの合唱をボーカロイドが歌うことによって、暗いディストピア的な、世界の終わりのような雰囲気が醸し出される。それはずっと耳に残る、くせになるような味わいがあった。

バッハが使っていない近代の楽器(クラリネット、サックス、バンドリン、アコーディオンなど)の音色に加え、随所でジャズ的な音の動きが加わっていたのも面白かった。通奏低音部にチューバを用いていたことも、効果的であった。第1部、第2部とも導入と締めくくりの大規模な合唱曲で顕著なのだが、ベースの動きがしっかり厚みをもっていないと、全体の響きが薄くなってしまいがちになる。そこをチューバとピアノの低音でじゅうぶん解決できていた。

 

写真:永島麻実

 

最後に、今後の課題について。

Hakuju Hallはもともと生音で演奏されることを前提とした、残響の豊かなホールなので、PAを通して演奏するには、音響バランスのとり方が難しかったのではないだろうか。私が座っていた席では、ボーカロイドの声がほとんど聞こえなかった。

もう一つ気になったのは、歌手も俳優も全員が女性だったことのメリットとデメリットである。歌と言葉にまつわるパートを、あえて全員女性にすることで独自の迫力と求心性が生まれたし、全体として案外違和感なく聴くことができたのは確かである。しかし、エピローグの前に置かれたアリア「わが心よ、おのれを清めよ」などは、バッハの原曲の通り、やはり落ち着いた男の低い声で、ホッとした安らぎのように歌われることをどうしても期待してしまう。クラシック・ファンの側の無いものねだりかもしれないが、男の声を効果的に使うとどうなるのかに興味がある。

 

「マタイ受難曲」を用いたこうしたプロジェクトによって、バッハの音楽が、これまでのクラシックとは全く異なる聴衆との出会いを果たすことが可能となるし、ポップス系のミュージシャンにとって、精緻なメロディラインやハーモニーへの挑戦によって、得難い成長の機会を提供することにもなるのも確かである。これをさらにどう発展させていくのか。たとえばコンサートホールでのライブではなく、スタジオでのセッション・レコーディングでやったらどういうことになるのか。「カラマーゾフの兄弟」だけでなく、他にどんな文学作品を用いてみたら面白くなるのか。無限の可能性が想像されてくる。

 

INFORMATION

マタイ受難曲2023 - 神と嘘 -

企画・脚本・編曲・音楽監督:shezoo
日時:2023年1月7日
会場:Hakuju Hall
主催:マタイ受難曲2023実行委員会

歌:石川真奈美、松本泰子、行川さをり、Noriko Suzuki
エヴァンゲリスト:西田夏奈子、千賀由紀子、黒木佳奈
演奏:shezoo(ピアノ)、西田けんたろう(ヴァイオリン)、北沢直子(フルート)、寺前浩之(バンドリン)、土井徳浩(クラリネット)、田中邦和(サックス)、佐藤桃(チューバ)、木村秀子(キーボード)、藤野由佳(アコーディオン)、酒井康志(ボーカロイド)

WRITER PROFILE

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林田直樹 Naoki Hayashida

音楽ジャーナリスト・評論家。1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業後、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバーまで、近年では美術や文学なども含む、幅広い分野で取材・著述活動を行なう。著書「そこにはいつも、音楽と言葉があった」(音楽之友社)、「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテスパブリッシング)、「クラシック新定番100人100曲」(アスキー新書)、「バレエ入門」(共著、ヤマハミュージックメディア)、他。クラシック音楽専門インターネットラジオ「OTTAVA」プレゼンターを2007年の開局時より続けている。音楽之友社社外メディア・コーディネーター。  

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