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四方幸子 著
『エコゾフィック・アートー自然・精神・社会をつなぐアート論』
フィルムアート社
2023.4.26発行

Written by 齋藤帆奈|2023.8.28

 

文章を書くときに、自身の経験や感情をどのように表現すればいいのか迷うことがある。説得力のある表現にするには三人称的な記述で書くべきだという規範意識や、一人称で経験について書いてもそのとき「わたし」の内側で進行したリアリティや、ヴィヴィッドさは伝わらないのではないかという不安が脳裏をよぎる。しかし、『エコゾフィック・アート』は、そのような懸念を軽やかに払拭してくれる。

本書の大筋は、著者の四方幸子が直接的に関与、あるいは鑑賞した展覧会やアートプロジェクトの具体的な紹介と、その思想的な位置付けの往還から成る。思想的立場としては、フェリックス・ガタリによる『三つのエコロジー』において提起されている、自然だけではなく、社会、精神のエコロジーが必要であるという思想に協調し、物質的なレベルを想定したときには異質とみなされるそれぞれのエコロジーを同じ水準で捉え、表現することを可能にする「情報フロー」という概念でさまざまな出来事や思想が紡ぎ合わされていく。タイトルとなっている「エコゾフィック・アート」という言葉も『三つのエコロジー』におけるガタリのエコロジーとフィロソフィーを繋いだ造語「エコゾフィー」に由来している。

最初わたしはときおり出現する「!」エクスクラメーションマークに面食らった。それは自身を縛る文章表現やコミュニケーションについての規範意識に気付かされる経験であり、わたしの精神をもっと自由な場所に誘うような違和感である。

生の喜びがほとばしるような一人称の経験についての記述はまさに精神のエコロジーの言語であり、人文学と自然科学を横断し紡がれる、社会と自然のエコロジーについての批評的な言語がそこに接続していくさまは三つのエコロジーの情報フローのただ中に読者を誘っていく。そしてこのダイナミックでいてスムーズな往還は著者の膨大な経験と知識に裏付けられていることがうかがえる。著者は90年代初頭からメディアアートを中心的に扱うキュレーターとして国内外で精力的に活動しており、その実体験の語りは生きられた歴史である。わたしが2012年に多摩美術大学に入学したころすでに著者はよく知られたキュレーターであり多摩美で教鞭もとられていた。著者が取り上げる2010年代以降のアーティストやアートプロジェクトはわたしにとっても身近なもので、何も知らない美大生から徐々に世界が見えるようになっていき、さまざまな先輩アーティストや作品に影響をうけながら作家として二足歩行できるようになってきた自身の経験も鮮やかに呼び起こさせられる。例えば、バイオアーティスト兼生命科学者として登場する岩崎秀雄は、わたしが多摩美卒業後から所属し、思想面、制作面で多大な影響を受けたバイオアートプラットフォームmetaPhorestの主宰者である。また、「とうとうたらりたらりらたらりあがりららりとう」をキュレーションした渡辺志桜里はグループ展で共に展示した経験を持つ友人のアーティストであり、まだ実現されていないが共作のプロジェクトのアイディアについて時々話をする相手でもある。本書でも触れられている展示の際に身籠っていた彼女の赤ちゃんについても時折耳に入ってきていた。ひとつの生の誕生の過程と、作品の制作活動や展覧会を作ることといった私的とされる領域と公的とされる領域の切り離せない紐付きが、本書では果敢に描写されている。

 

大小島真木《綻びの螺旋》2021年 撮影:足利森

 

本書は、「第一章 道標—思想の源流を遡る」「第二章 フィールドへ—エコゾフィック・アート論」「第三章 創発へ—アートコモンズ展望」という三つの大きな章からなり、二章の「フィールドへ – エコゾフィック・アート論」は森、生、渦、水、地、力、電子という章に分かれており、それぞれに関連する具体的なアートプロジェクトが紹介されている。

生の章で印象的なのは、大小島真木の《綻びの螺旋》(2021年)である。大小島は、1987年生まれの東京を拠点として活動するアーティストで、「絡まり、もつれ、ほころびながら、いびつに循環していく生命」を自身の表現のテーマとする。《綻びの螺旋》は、角川武蔵野ミュージアムにて展示されたインスタレーションで、大小島の展示空間を構成する絵画やオブジェを結節点としてつなぐメタ構造をもっており、根茎のような形状をしている。大小島の作品は主に彼女自身の想像力によって生命や自然のイメージが描かれた、表現的な制作技法をとるものだが、《綻びの螺旋》の形状は、盛り土に流し入れた水が土を侵食し生成した経路を書き起こしたものだそうである。このエピソードによって、精神のエコロジーの領域と言える大小島自身のイマジネーションの領域も彼女の神経系のネットワークもまた土を侵食する水と同じく自然のエコロジーによってパターン形成されていることが思い起こされる。

 

木本圭子《イマジナリー・ナンバーズ》2003年

 

対して渦の章では、木本圭子の作品が紹介されている。木本は80年代から最初期のパーソナルコンピューターであるアップルのマッキントッシュを使用し、非線形力学形の数式を用いたプログラムで平面表現を生成するアーティストである。彼女は自身の表現を消そうとしてプログラミングを独学したそうで、ある意味で大小島とは対照的である。彼女の代表作である《イマジナリー・ナンバーズ》にはわたしも大学生時代に出会い、数式で生成した表現が溢れる現代においてなお一線を画す、自然法則の秘密の一端を垣間見たような緊張感に感動したことを覚えているが、本書によって木本が近年、数式で生成した線を和紙にプリントアウトし、日本画の岩絵具でなぞるという表現を行っていることを知った。大小島が自身の表現的な手法に対して土と水の自然法則を用いた手法で《綻びの螺旋》を作ったのとちょうど対になるような構造が現れているように思えた。本書で引用されている岩崎秀雄の言葉を借りれば、精神のエコロジーと自然のエコロジーがメビウスの輪の構造をとって表裏一体となる、その結び目の裏と表を両側から見るような構造である。

 

村山悟郎《矩形の生成-黄金比 Ⅴ》2021年 撮影:村山悟郎

 

同じく渦の章で、生物の一人称の世界認識と客観的で科学的な世界記述を表裏一体のものとして描出しようとしてマトゥラーナ / ヴァレラによって展開された思想「オートポイエーシス」を美術によって引き継ぎ展開する村山悟郎が紹介されている。村山は自身の身体感覚を反映した筆致と、数理的なアルゴリズムを組み合わせた表現を行う作家である。本書で紹介されているプロジェクト「ダイナミックな支持体ーSupport Dynamics」(2021年)は、フィボナッチ数列によって黄金螺旋を描くよう分割されたキャンバスに、相似のパターンを描いた絵画である。それぞれのドローイングが相似形であるためにフラクタル構造の一部を切り出したような構成となっている。著者による、ミクロからマクロに展開される世界のうち、人間の身体スケールの部分のみが可視化され物質化されているという評にははっとさせられた。ここにもまた、複数のエコロジーの絡まり合いが見て取れる。

 

 

『エコゾフィック・アート 自然・精神・社会をつなぐアート論』より

 

本書で紹介されるアーティストやアートプロジェクトは、著者の一人称の経験ともつれ合いながら、社会や自然から独立し、純化された「芸術家」や「芸術作品」のイメージを過去のものとして鮮やかに払拭していく。そこで描出される作品群は、世界を救う大義を任されるものでもなければ、社会から隔絶し芸術とは何かを突き詰めていくものでもなく、精神、社会、自然の織りなす生態系のひとつのノードとして確かに存在する「生」そのものである。

著者の拠って立つ世界観はドゥルーズ / ガタリの提唱した「リゾーム」である。リゾームは根茎という意味であり、ネットワーク状でさらに末端同士が接続しうるシステムのメタファーで、ツリー状の幹と末端が分化したヒエラルキー構造のシステムに対するアンチテーゼとなっている。このワードは80年代から90年代の現代思想やアート界で流行語となり、消費されてしまった概念として語られることもある。しかし、実際のところ複雑な現代社会を効率的に運営するという観点や、工学的に再現性のあるモノを大量生産するといった観点にたてば、いまだヒエラルキー構造のシステムに圧倒的に優位性がある。本書ではリゾームや情報フローという概念が丁寧に実際のアートプロジェクトにつなぎ合わされており、思想がキャッチコピーとして消費されていくのとは反対に、生きた現象、経験、物質に接続していく様が見て取れる。そこでは新たな意味が生成されつづけ、時に非生命的なスピードで成長していくネットワークを紡ぎ直し、少しずつ癒していくエネルギーを感じることができる。

本書の読書経験は、この世界を切り刻むあらゆる分断に絶望し、自身も切り裂かれたモノのひとつとして生きることを余儀なくされている読者にとっても、生の喜びを取り戻すようなひとときになりうるのではないだろうか。本書に登場するアーティストたちと共に分断の底にある情報フローのダイナミズムを感じ、つながりの切れたように見えるものたちにも潜在するつながりを呼び起こすエネルギーの渦の中に誘われながら、そのような体験が多くの人々に訪れることを願った。

INFORMATION

『エコゾフィック・アート 自然・精神・社会をつなぐアート論』四方幸子著

著者:四方幸子
出版:フィルムアート社
発行日:2023年4月26日

WRITER PROFILE

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齋藤帆奈 Hanna Saito

現代美術作家。1988生。多摩美術大学工芸学科ガラスコースを卒業後、metaPhorest (biological/biomedia art platform)に参加し、バイオアート領域での活動を開始。現在は東京大学大学院学際情報学府博士課程に在籍(筧康明研究室)。理化学ガラスの制作技法によるガラス造形や、生物、有機物、画像解析等を用いて作品を制作しつつ、研究も行っている。近年では複数種の野生の粘菌を採取、培養し、研究と制作に用いている。主なテーマは、自然/社会、人間/非人間の区分を再考すること、表現者と表現対象の不可分性。

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